モーツァルト・ホルン協奏曲第1番ニ長調KV412/KV514、ホルン協奏曲第2番変ホ長調KV417
この記事は過去の解説原稿の修整加筆ではなく、全く新たに書いたものです。
ホルン協奏曲の順番について
ヴォルフガング・プラートとアラン・タイソンの研究でホルン協奏曲第1番の作曲年は1791年であることが判明しています。1783年作とされてきた第3番が第4番よりあとの曲だと判明し、更に第1番が3番よりもあとの作曲だってことになってしまったのです。4曲のうち第2番と第4番はモーツァルト自身によって楽譜や作品リストに完成日が書き込まれているのですが、第1番と第3番には日付けの書き込みがないことが厄介な問題でした。
作曲順は以下の通りになります。
第2番[1783]→ 第4番[1786]→ 第3番[1787または1788]→ 第1番[1791]
つまりモーツァルトのホルン協奏曲の番号は全く作曲年代を反映していないということなのです。
●ホルン協奏曲第2番変ホ長調KV417
この作品がモーツァルトのいちばん最初のホルン協奏曲になります。1783年の作品。もちろん悪友ロイトゲープのために作曲されました。
自筆譜には例によって「ロバ、雄牛、間抜けなロイトゲープを憐む」と悪友をからかう言葉が書かれています。モーツァルトは「ロイトゲープをからかわずにはいられない」と言うほどでした。楽譜の上でも、実際の生活でもこの年上の大好きな悪友をからかいまくりました。いろんな逸話を読むと、愛情をこめつつも苛めに近いような酷い「からかい」も多かったようです。モーツァルトならやりそうなことですが、まずはそんなおふざけを許してきたロイトゲープの懐の深さが超素晴らしいと思います。だからモーツァルトも彼のために喜んで作品を書いたのでしょう。ロイトゲープの懐の深さのおかげで最高に素晴らしいホルン協奏曲のレパートリーが4曲も残ったわけです。ロイトゲープに感謝!
1、2楽章は「歌うホルン」の魅力満載です。一転して狩のリズムによる第3楽章は大はしゃぎに陽気な音楽です。こういったお祭り騒ぎの時のモーツァルトは本当に冴えてます。
●ホルン協奏曲第1番ニ長調KV412 /KV514
日本では第一楽章冒頭の歌に満ちた旋律がテレ朝の人気バラエティ「いきなり!黄金伝説。」の料理のシーンで使われたため、タイトルは知らなくてもメロディは知ってる人がめっちゃ多いとゆー妙なポピュラリティを獲得している作品です。
この作品は1791年に作曲が開始されましたが、モーツァルトの死によって未完成で残されました。もちろんこれも悪友ロイトゲープのための作品です。モーツァルトが完成できたのは第1楽章だけで、他には第3楽章(ロンド)の草稿が残っているだけでした。この草稿の素材を元にしてジュスマイヤーがロンドを作曲し、それを第二楽章として、全二楽章の協奏曲として演奏されるのが通例です。モーツァルトが書いた第1楽章がKV412、ジュスマイヤーが書いたロンドにはKV514という番号が与えられたので、この協奏曲はケッヘル番号が二つ併記されることになっているわけです。412+514をKV 386bとかも言うようですが、めんどくさいのでここでは無視します。研究が進むのは大変結構ですが、厳密すぎてめんどくさいことも多いです。モーツァルトが遺したフラグメントの自筆譜はネットで簡単に閲覧できます。本当にいい世の中になりました。
https://imslp.org/wiki/Horn_Concerto_in_D_major,_K.412/386b_(Mozart,_Wolfgang_Amadeus)
作品が未完成に終わり、モーツァルトの素材を使ったジュスマイヤーの創作が含まれているという点では「レクイエム」と成立事情がよく似ています。モーツァルトの晩年の協奏曲のひとつですから、音楽的内容の素晴らしさは改めて言うまでもありません。ジュスマイヤーが遺された素材から作ったロンドは、中間部に預言者エレミアのものとされる旧約聖書の「エレミアの哀歌」が引用されていることが大きな特徴です。モーツァルトの死を悼んで引用したのではないかと言われています。ジュスマイヤーの心情を思って聴くと非常に心を打つ部分です。しかし、そもそも曲全体がとても明るく、バラエティ番組のイメージ(料理のイメージ)もちらっと脳をよぎったりもするし、自筆譜にイタリア語で書きこまれた悪友をからかうしょーもない言葉の数々(ここで一呼吸。羊でさえこんな風にトリルができる。ああ、悪名高きブタよ。など)の印象も邪魔をして、「レクイエム」のように厳粛な気分でモーツァルトの晩年の心情に思いを馳せ辛いのです(笑)。
でも、ぼくはそこがむしろモーツァルトらしくて実にいいなと思うのです。具合は悪かっただろうけど、ペンを持つことができるうちは、彼は悪友を思い浮かべながら音楽でふざけて爆笑することが一応はできていた。最後まで実に人間臭い男でした。レクイエムの厳粛さを思い切り裏切って、嘲笑うかの如く...。モーツァルトは決して一箇所に落ち着いていてくれません。我々がそうあって欲しいと願うモーツァルト像から、彼はひらりと身をかわして、晩年の崇高な作品世界が嘘だったように爆笑してみせるのです。
「エレミアの哀歌」
第2楽章の76小節めからの独奏パートを挙げておきましょう。これが「エレミアの哀歌」の引用になります。
預言者エレミアのものとされる旧約聖書の「哀歌」は数多くの作曲家たちの創作意欲を刺激し、作品に使われてきました。
キリがないので,まずはトマス・タリス、パレストリーナ、ヴィクトリアの「エレミアの哀歌」を挙げておきましょう。
多くの「エレミアの哀歌」のなかでもとりわけ重要な位置を占めるのがチェコ出身の第作曲家ゼレンカのの作品でしょう。これは本当に心を打つ傑作です。ご存知ない方にはぜひ聴いていただきたい作品です。
個人的にはドゥランテの作品も素晴らしいと思ってます。(ぼくはドゥランテの作品が大好きで、特に協奏曲を偏愛してきました。)
古典派ならハイドンの交響曲第26番ニ短調『ラメンタチオーネ』Hob.I-26が有名です。哀歌は第2楽章で使われます。動画はアントニーニ指揮のバーゼル室内管です。立奏による新鮮な演奏。Youtubeにはこの組み合わせのハイドンの動画がたくさんあって楽しいです。このオケはホグウッドとの関わりも深かったので、モダン・ピリオドの両刀使いのハイブリッドなオケになりました。おもしろいオケです。
バーンスタインの交響曲第1番はそのものズバリ、「エレミア」というタイトルです。
フランツ・クサーヴァー・ジュスマイヤー
モーツァルトより10歳下のフランツ・クサーヴァー・ジュスマイヤーは弟子だと言われたり、助手と言われたり、なかなか立場が落ち着きませんが、おそらくその両方だったでしょう。モーツァルトの側で実際に仕事を手伝っていて、楽譜の浄書をしていて、そこから学んだことも多いはずですし、歌劇「皇帝ティートの慈悲」KV621のレチタティーヴォの部分はジュスマイヤーに任され、オーケストレーションにも彼は関わっています。
「ティート」に関してはほとんど共同作曲者と言えるような立場だと言えます。モーツァルトはレチタティーヴォをすごく大事に書く作曲家だったので、時間がなかったとはいえ、それを任されたのは大変なことだと言えるでしょう。レクイエムやホルン協奏曲第1番の見事な補作に関しても同様です。レクイエムの補作についてあれこれ言う意見も多いですが、「お前やってみろ」と言いたいですね。様々な補作の試みは良いと思いますが、実際に晩年のモーツァルトを支えてきたジュスマイヤーの優位は今後も変わらないと思います。補作の完成度も極めて高いものですし、あの時点で彼はベストを尽くしたのですから...
ジュスマイヤーはモーツァルトの死後、けっこうな売れっ子作曲家になったようですが、彼もまた37歳で亡くなっています。モーツァルトの補作ではない100%彼自身の作品も今はいろいろ聴くことができます。モーツァルトの補佐をするくらいですから、ジュスマイヤーもたしかな腕を持っていました。トルコ風の交響曲は派手でめちゃサイケで面白い作品です。コンチェルト・ケルンの演奏も最高です。まさにオリエントの夢。
モーツァルトの「後宮からの逃走」序曲も凄い演奏です。ジュスマイヤーもおもしろいけれど、同傾向の曲だけに、聴き比べるとやっぱりモーツァルトの凄さがよくわかりますね。
やっぱりモーツァルトの補作をしている時のジュスマイヤーが、いちばん筆が冴えてると思います。ちょっとありえないレベルで素晴らしいです。