プロコフィエフ・ピアノチクルスvol.6
[2015年11月15日竹風堂大門ホール]
ピアノ:水澤未来
vol.6
みなさんようこそおいでくださいました。
今年のテーマは20世紀ソ連を代表する作曲家でありピアニストでもあるセルゲイ・プロコフィエフです。今日はその6回目、最終回になります。
今回のプロコフィエフのチクルスは、何しろ曲がどれも複雑で面倒ですから、6人ピアニストが揃うかどうかというところが心配でした。
ところが長野のピアニストの層は非常に厚くて、意外ときっちり揃ってしまった。ソナタ全9曲できればいいけれども、負担が重すぎたら欠番もやむなしと思ってたら、全9曲リレーできてしまった。これはすごいことです。
今日のピアノは水澤未来ちゃんです。大トリですね。
プロコフィエフの9つのピアノソナタをん順番に聴いてきましたが今日はついに9番です。プロコフィエフが完成させたピアノソナタでは最後の作品です。実は10番のソナタも書きかけていたのですが、
これはプロコフィエフが亡くなってしまったので、断片だけが残されています。完成された作品では9番が最後のソナタということになります。
「ロメオとジュリエット」からの10の小品より
前半はプロコフィエフの代表作であるバレエ「ロメオとジュリエット」からの小品を聴いて頂きます。
本来はもちろんバレエ音楽で、オーケストラ用の音楽ですが、プロコフィエフ自身が10曲をピアノ用に編曲してますので、今日はこの中から選んで聴いて頂きます。このバレエ音楽は1934年から35年の作曲ですから、ちょうどプロコフィエフが亡命生活にピリオドを打ってソ連に完全帰国する頃の作品になります。ちょっと前の作品になりますけれども、今回は最終回ですので、プロコフィエフの一番ポピュラーな作品もちょっと聴いて頂きたいと思って、これを選曲させて頂きました。当時のソ連ではまず何よりも労働者や大衆にわかりやすい音楽が求められていました。これは国策といいましょうか、共産党の方針でもありました。これに逆らって難解な音楽を書いてしまうと批判されて、ひどい目にあわされることになります。プロコフィエフもこの意向に沿ったようなわかりやすい音楽を描くようになります。でも、プロコフィエフは必ずしも保身のために芸術的な信念や良心を曲げて共産党の意向に屈服したというわけでもなかったんです。プロコフィエフは刺激的で難解で前衛的な音楽も書きましたけれども、プロコフィエフはもともと「誰にでもわかりやすい音楽を書きたい」という欲求は持っていました。そもそも美しいメロディや美しい和音や明快でシンプルな形式で音楽を書くことはプロコフィエフが目指していたことでもあったし、本来の姿でもあったわけです。でも、この当時、プロコフィエフは完全帰国直前でスターリン率いる共産党の大歓迎攻撃を受けてる真っ最中でした。まあ、謀略ですよね。でも、ロシアで大事にされて歓迎されるのはうれしい。そうすると、ちょっと党の意向に沿ったものを書いてもいいかな、とゆー気分ももしかしたらこの当時はほんのちょっとは、もしかしたらですよ。ほんのちょっとかどうかわからないけれども、あったかもしれません。でも、わかりやすく聴きやすい音楽はもともとプロコフィエフが目指していたものでもありますから自分の芸術的信念を曲げて無理して分かりやすく書いていたとゆーわけでもなかったんです。
そうしたプロコフィエフの姿勢というのは子供のたちのために書いた有名な音楽物語「ピーターと狼」によく表れています。みなさん、ご存知でしょうか。集中力のない子どもたちを飽きさせないように、同時に教育的にも意義のある音楽を目指しました。子どもたちが楽しんで聴いているうちにいつのまにか楽器の名前や音色を覚えて、オーケストラの音楽が好きになってしまうような作品。「ピーターと狼」は時代も国境も超えた大ヒット作になり、今も日本はもちろん全世界の子どもたちが目を輝かせて「ピーターと狼」を楽しんでいます。
ここからちょい脱線します。
☝️はエフレム・クルツ/フィルハーモニア管弦楽団(語り:岡崎友紀さん)の演奏。個人的に超懐かしい演奏だ。今聴いても素敵だと思う。
☝️のストコフスキーのは、なんと堺正章さんの語り。
フランスではジェラール・フィリップもやってる☝️
オーマンディ盤はデヴィッド・ボウイが語りを担当。この作品の録音は、語りに誰を起用するのかって楽しみも大きい。昔はやたら豪華だった。
もっと新しい演奏だと、アバドの演奏はスティングが担当。
アバドにはロベルト・ベニーニとの動画がある!すっげえ!もちろんイタリア語。これめっちゃ楽しい!最高!
とか言ってるとキリがないけれども...もちろんオリジナルのロシア語 ドイツ語 スペイン語 などなど。もちろんもっとあるでしょ。オーケストラがある国ならどこでも、現地の言葉で子供たちのために演奏してるだろう。
こんな作品ほかにはありません。当時、ウォルト・ディズニーも「ピーターと狼」のアニメ化を狙っていたそうですから、すごいです。これから聴いていただくバレエ「ロメオとジュリエット」は「ピーターと狼」と同時期の作品です。「ロメオとジュリエット」の場合はわかりやすさ。シンプルさ、明快さに加えて、表現豊かでドラマティックで抒情的な音楽を書こうとプロコフィエフが張り切って作曲したバレエ音楽です。「ピーターと狼」は子ども向けですが、「ロメオとジュリエット」は分かりやすく楽しめる大人向けの音楽を書いてやろう、ということでプロコフィエフは腕によりをかけて張り切って作ったわけです。
これはもう大成功で、今も世界のバレエ団の重要な決定的なレパートリーであり続けてます。
ではプロコフィエフの代表作「ロメオとジュリエット」からの10の小品よりセレクションでお楽しみ下さい。もちろんプロコフィエフ自身のピアノ編曲です。
休憩
ピアノソナタ9番ハ長調Op.103
後半はソナタ9番ですね。1947年に完成した作品です。大戦後の作品です。日本で言えば昭和22年の作品ですね。日本も徐々に生活が落ち着きつつあって、学校給食が始まったりとか、そんな頃です。
ソ連も戦争のダメージはものすごく大きかったです。第二次大戦に参戦した国の中でもっともひどい損害を出したのはソ連です。ソ連は一応戦勝国ですけど、敗戦国のドイツや日本よりも亡くなった人の数はずーっと多いのです。戦争に勝っても国内はひどい状況でした。戦争は勝っても負けても地獄。どちらもひどく傷つきます。プロコフィエフも戦争中は疎開で各地を転々として落ち着かない生活で苦労しましたが、ようやく一箇所に腰を据えて落ち着いて作曲できるようになってきた頃です。
戦争は、プロコフィエフ自身にも大きな変化をもたらしました。戦争前のプロコフィエフはシニカルでちょっと意地の悪い気難しい男だったんですが、戦争後はとても穏やかで優しい気さくな性格の男に変貌していました。身体の方にも影響が出ました。困難な疎開生活を各地で送りながらその中でストレスに耐えながら超人的な仕事量をこなしていたので、身体にも大きなダメージがあったのですね。心臓に影響が出ました。おそらく心筋梗塞のような感じだと思いますが、1945年、終戦の年に心臓の発作が起こって、そのとき折悪しく高い階段の上にいて、プロコフィエフはそのまま転落してアタマを強打してしまったんです。プロコフィエフはお母さんも心臓が良くなかったので、これは遺伝かもしれませんね。もちろん戦時中の苦しい生活の影響も大いにあるでしょう。医者には当分仕事をしてはいけないと言われたのに、プロコフィエフは入院中もベッドの上で医者や看護婦さんの目を盗んで五線紙を取り出して、せっせと仕事に励んでいたそうです。困った人ですねえ。典型的ワーカホリックとゆーこともあるんですが、実際大きな仕事をたくさん抱えていたわけですから、そうせざるを得なかったということもありました。プロコフィエフは心臓もそうですけど、そもそも血圧がめっちゃくちゃ高くて、根詰めて仕事しすぎると激しい頭痛に襲われたりもしてたんです。その度に病院にかつぎこまれて入院みたいなことを繰り返してました。血圧高いのはまずいです。プロコフィエフは最終的に脳出血で亡くなるんですが、階段から落ちてアタマを強打もしてるんだし、この時点からもっとゆったりしたサイクルで仕事をするようにしていけば、もうすこし長生きできたかもしれません。ぼくも脳出血で倒れましたが、脳の病気や心臓の病気の再発を防ぐにはやっぱり無理のないスケジュールで身体に負担をかけないように生活することが大事だと病院から口を酸っぱくして言われています。脳出血の発症率は仕事忙しい人が圧倒的に高いそうです。ぼくも脳出血で倒れましたが、一番忙しいときに倒れました。最近はまたちょっと忙しくなってきてしまって、病院の先生からも「気をつけなきゃだめだ」と言われちゃったりしてるので、あまり偉そうなことも言えないんですが、ホントにこの時点でプロコフィエフが勇気を持ってもっと厳しく仕事を制限していればどうだったかなあとどうしても思ってしまいますね。
そんなプロコフィエフですが、仕事はどんどん忙しくなる一方でその上に、私生活でも心配なことが起こってしまいます。KGB(秘密警察ですね)がプロコフィエフの前の奥さんのリーナをスパイ容疑で逮捕したんです。リーナはシベリアの収容所に送られてしまいました。二人の息子もお父さんのプロコフィエフにお母さんの危機的状況を訴えます。悩ましい状況です。別れたとはいえ、愛する二人の息子の母親ですし、かつては愛し合った女性です。自分が彼女をソ連に連れてきてしまったせいだとプロコフィエフは罪悪感に駆られ、自分を責めます。ただでさえ高血圧で、心臓にも問題があって、しかも忙しい上にこのストレスです。でもそしてプロコフィエフ自身にもさらに困難な状況が降りかかります。ジダーノフ批判です。例によって「大衆に理解できない難解な音楽」を書いたから けしからんとゆーことですね。このことでショスタコーヴィチはじめ、当時のソ連の作曲家たちはみんなめちゃくちゃ苦労しました。この批判を受けることは「人民の敵」「反人民的作曲家」「反共産主義」「反革命」とゆー烙印を押されるとゆーことです。つまり国家の敵とゆーことになって、ソ連社会から抹殺されることを意味します。ひどい場合には粛清です。プロコフィエフの作品はソ連では演奏禁止になりました。ただ例外がひとつあって、前半に聴いていただいた「ロメオとジュリエット」だけは例外とされました。このバレエはあまりにも人気がありすぎて、共産党も禁止できなかったんです。
音楽の仕事ができなくなってしまい収入のなくなったプロコフィエフは一気に生活が苦しくなってしまいました。こんな状態ですからストレスはたまる一方。高血圧で心臓に問題があるプロコフィエフにとっていい状態であるはずがありません。当時プロコフィエフのあまりの困窮ぶりを見かねた年若い友人ロストロポーヴィチ(名チェリストのロストロポーヴィチです・みなさんもよくご存知ですね)が作曲家同盟に怒鳴り込んでいって
5000ルーブルをぶんどってくるなんてこともありました。こんな苦境にあったプロコフィエフも徐々に立ち直りはじめます。名誉の方も少しずつですが回復されていって、それにつれて生活も楽になってきました。でも、身体の方はどんどん悪くなって、作曲の時間も医師からきつく制限されて1952年頃には1日3時間からついに30分までと減らされてしまった。それでもプロコフィエフは作曲を続けました。
これから聴いていただくピアノソナタ9番はおそらくいちばん苦しい時期の作品です。ハ長調。これ以上ないスッキリした調性です。メロディもシンプルでわかりやすく、ロシア民謡風でもありますし、ロシア正教の聖歌風でもあります。刺激的で過激な和音や複雑さは影をひそめ、極めて素直でシンプルな書き方がされています。天才作曲家の音楽がこんな風にシンプルになってくるとやばいんです。年齢は関係ないです。余分な音符を書かなくなってシンプルに素直な作風になってくると若くても間もなく死んでしまうことが多いです。音楽の神様が迎えにきているのが曲に表れるのかもしれませんね。早死にしたモーツァルトもシューベルトもそう。例えば長く生きたフォーレなんかもそう。天才はみーんなそうです。プロコフィエフも例外ではありませんでした。9番のソナタの数年後、1953年3月5日脳出血で突然倒れて亡くなりました。急死です。もうすぐ62歳でした。1953年3月5日は奇しくもスターリンが亡くなった日です。
4日間に渡って続いたスターリンの巨大な規模の国葬の模様は、セルゲイ・ロズニツァのドキュメンタリー映画「国葬」(2019)で観ることができます。凄い作品です。プロコフィエフが亡くなった時のソ連の様子が、これを観ると本当によく分かります。
プロコフィエフはスターリンの死を知らずに亡くなりました。ショスタコーヴィチはじめプロコフィエフの友人たちはみんな口々に
「スターリンの死を知らずに亡くなってしまうなんて!」
と言っていたそうです。
プロコフィエフの死はソ連ではほとんど注目されませんでした。同日のスターリンの死によって完全に隠れてしまったのです。スターリンの国葬によって国中の花はすべて購入されてしまったため(国葬のためにとんでもない量の花が必要だったのです)、プロコフィエフの葬式には、花を持たないほんの少数の友人や親戚が出席しただけでした。プロコフィエフの才能と業績に比して、とても寂しいものになってしまいました。
そう、プロコフィエフはスターリン時代の確立と共に(大テロルの時代に)ソ連に帰国し、スターリンと同じ日にこの世を去ったのです。
ではプロコフィエフの最後のピアノソナタ、第9番を聴いていただきましょう。
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余談・ロジェストヴェンスキー
オーケストラのコンサートでも「ロミオとジュリエット」(組曲)は大人気で、アンコールピースとしてもよく演奏される。「タイボルトの死」なんか盛り上がるからめっちゃ定番。
☝️の凄まじい「タイボルトの死」はロジェストヴェンスキー の演奏。
ロジェストヴェンスキーって人はこーゆー気の狂ったことをするので油断がならない(笑)。めっちゃ好きな先生だ。
チャイ4のフィナーレなんか予想通りの凄演。オーケストラ芸術のある種の限界を極めてる...。1960-70年代ってのはこーゆーことが可能だった時代。
今はこーゆーのはなかなか難しいと思う。
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