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感情のこと

Youtubeのおすすめで懐かしいゲーム実況者が突然に出てきて、
「そういえば最近どうしてるんだろう」と思ってコミュニティに行ったら1年半ほど更新がなかった。
そんな…悲しい…。

懐かしいという言葉の通り、僕はその配信者がメインで行っているゲームをしなくなったので、配信を見ることはなくなっていた。
だから、配信などをしなくなったことは全く知らなかった。
それなのに唐突に確認して更新されてなかったから悲しいと思うのも薄情な。

とりあえず、何があったのかを調べると、ちょうど3ヶ月前にSNSだけが更新されていて、
「新しいことを始めたからしばらく配信をしてなかったけど、新しいことが軌道に乗ったから配信業を引退する」
という内容だった。

そうか、引退したのか。頑張ってほしいなぁ。
その配信者の開く大会に参加したり、あの頃は楽しかったな。
もうそれも2年くらい前なのか。
思い出すだけでワクワクが止まらなかったあの日々。
しみじみ。

「この歳になって」という台詞が正に当てはまることの1つに、
そういう引退とか次のステップに進む人たちを応援したくなる親心(…?)みたいなのが純粋に存在するということ。
それはちょっとだけ驚きだし、大人になったんだなと実感する部分でもある。

良いんだか悪いんだか、でもこれは良いことのように思う。

けれど、当然のように(他の人もそうなのだと思うけど)10代の頃は引退とか、そういうことがとにかく悲しかった。
いや、悲しいというのもちょっと違う拗れ方をしていた。

自分が楽しんできたその人とのささやかな繋がり(配信を通して)がなくなることはもちろんなのだけど、
その時間を通して、自分はそのコンテンツを辞めてでも次のステップに進もうとするくらいの、成長や発見がなかったことに対して酷く失望するのだ。
そして、その人に嫉妬する。置いていかれたようなそんな感覚。
なんて身勝手。

それは本当に一方的な感情で、おそらくこれが行き過ぎると事件を起こしたりストーカーになったりするんだろうけれど、
向こう側には向こう側の人生があって、次に進むのは当たり前だ。
アイドルだって引退するし、Vtuberだって引退する。ゲーム実況者だって、ずっとゲームの実況をし続ける保証はない。
逆に、見る方だって、ずっとその人を追い続ける保証はない。
みんなそれぞれの人生を生きているのだから変化していくのが当然だ。

ずっと変わらないものがあればいいのにと思うこともある。
けれどそんなものはないのだ。
だから、自分だけ停滞して、コンテンツを享受しているばかりではいけない。
そんなことはわかっていても、自分に失望するのが10代の頃だった。

たぶん、配信者のような不特定多数の人を巻き込んで何かをしようとする人は、行動力が元々普通より備わっているように思う。たぶん。
そういう行動力に、憧れていた。

この歳になって、未だに何を言ってるんだと思うけれど、
思ってしまうのだから仕方ないよなぁってことが幾つもある。

10代の頃はそういうことが原因でかなり凹んだりしてたから、
思ってる自分がいるなぁと遠くで客観視できるようになったことは、
やっぱり少しだけ時間をかけて生きてきたんだなとも思う部分でもある。

一番辛かったのはいつだったかという話や記事を聞いたり見たりするけれど、
一番辛かったのは間違いなく10代の頃だった。

そんなことを配信者の引退話でつらつらと考えた、そんな他愛もない話。

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