見出し画像

「正しい」なんてない


幼い頃から、両親はわたしの「先生」だった。

なかなか友人ができないわたしにとって、1番親密に関わるコミュニティが家族。

両親は絶対で、絶対に正しいと思っていた。


いつからか、両親が完璧でないことに気づいた。

それは成長するにつれて自分自身で得た知識や、出会った人の考えの影響だと思う。

大人も先生も、誰もが「間違える」ことがあると気づいた。

そうすると、なにが正しくて、なにが正しくないのか、

なにが善くて、なにが悪いのか

そういったことが、全く分からなくなった。


でも「正しい」の価値観は人それぞれで、そこに正解なんてないんだろうなと思う。


先日、とある知人の行動について全く理解できないことがあって、高校時代からの友人に話をした。

それはつまり、わたしにとって知人の行動が「よくない」ことのように思えたけれど、わたしのその判断が正しいのかどうか自信が持てなかったからだ。

友人は「それは確かによくないね」と同意してくれた。

きっとそれは、わたしが求めていた答えだろうし、わたしが彼女に期待していた答えだ。

だけどそれは、わたしと彼女に共通する価値観の中での「悪」なのだろうと思う。

結局、人と人との距離が近づくかどうかはその「正しい」の価値観が合うか合わないかであって

価値観が近いから許せるし共感できるし、

価値観がかけ離れているから許せないし理解できない。

そうやってわたしたちは人を好きになったり、嫌いになったりするんだろうな。


世の中に、誰もを納得させる完璧に正しい考えなんてなくて

それまでの人生で経験したことや学んだことを基にして形成された「それぞれの価値観」があって、

「それぞれ価値観」と照らし合わせて物事の善し悪しを決めているんだろうな。


だからわたしは、世の中に「正しい」ことなんてないと思う。

だからわたしは、テレビやネット上、あるいは人との会話の中で『人とはかくあるべき』『こうするのが正しい』『それはよくない』と

堂々と偉そうに発言する人たちがそこまで自分の意見に自信を持てることに、ある種の尊敬の意を抱くし

心底気持ち悪いと思っちゃうこともあるんだよネ。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?