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悩んで苦しんで出した答えならきっとそれが正解

ことのはじまり

きゆかが岡山から島根にお引越しするということで、久しぶりに会って飲んでいたときのこと。

「よかったら、『聞いてよ20歳』の応募作品の感想note書いてみて!」
ってきゆか姉さんに頼まれたのがきっかけで今このnoteを書いてる。

きゆかと出会ったのはちょうど私が高校二年に上がるころだったかなあ。
ライブハウスで出会って。それから4年半ぐらい。まさかこんなに長い付き合いになるなんてその時は思ってなかった。
でも出会った時からきゆかはきらきらしてて、好きなことに全力で、前しか見てないように見えて(きっとそんなことはないんだろうけど)、明日で世界が終わるとしてもきっときゆかはこのままなんだろうなって思えちゃうようなそんな感じ。いつだって憧れで人生の先輩。

そんなきゆかが企画した私設コンテストがこちら。

応募作品に一つずつ感想つけるなんて普通なら考えられないのに、それをやっちゃうあたりがまたきゆかだなあ。さすが。「きゆかだ」以外言いようがない。きゆかが歴史的偉人になった日には「きゆかだ」なんていう形容動詞ができあがるかもしれないね。

ノンフィクションだとかエッセイだとか。

そんなわけで、その記事の感想noteを書こうかなあと思いながら応募作品をいろいろと読んでいたときに出会ったのがたかれんさんの作品。

私は正直エッセイだとかノンフィクションだとか得意じゃなかった。何なら苦手だった。小説なら素直に感動できることも、エッセイになるとなんだか冷めた目で見てしまう。

だって普通の人はエッセイなんか書かんやん。自分の実体験に基づくことを書いてそれを誰かに読んでもらって、誰かのためになるとか、面白いと思ってもらえるとか、そんなふうに思える人生を歩んできている人と私の人生なんか一緒なわけないし。何を偉そうに語ってんやろ。あなたが思ってる正しいを押し付けてくんなや。

包み隠さず書くとこう思ってた。エッセイを読むと窮屈だった。きっと私より素晴らしい人生を歩んできた人が言うことはきっと正しくて、私は間違っているんだと暗に言われているみたいだった。

でも、たかれんさんの作品を読んで泣いてしまった。
正直自分でも驚いた。とくに最近失恋したわけでもないし、傷ついたことも落ち込んだこともなかったしなんで?って。

でもそれほどまでに、たかれんさんの文章が優しくて、綺麗で、どうしようもなかった。

だから、わたしがいくら「20歳の時にこれをしたほうがいいよ」「20歳の時のこれが役に立ったよ」なんて話をしても、きっとあなたの日常を変えることはできないと思ったのです。わたしとあなたは、別の人間なのだから。

この言葉が私の意味分からん「エッセイなんかフィルター」を外してくれた。誰かが言う「正解」は「その人にとっての正解」であって「私にとっての正解」であるのとはこれっぽっちも関係ないんだ。そう思えたら、言葉がすうっと心にしみこんできた。

「あなたの人生において一番の失敗経験はなんですか?」

就活を始めていろいろと調べていたら、出会ったこの質問。ずっと回答を考えていたけれど一つも思い浮かばなかった。

別に自分の人生が最高でハッピーで120点満点だと思ったことは1㎜もないし、いつだって失敗して落ち込んでばっかだし、他人と比べて自分の不甲斐なさに嫌になる。

ついこの間も真面目に書いたレポートがぼろぼろにFBされて返却されて再提出になって泣きながら書き直したし、バイト先では凡ミスを連発しすぎてぼこぼこに怒られて先輩や社員さんの機嫌を損ねて落ち込みまくって帰ってきた。

そんな細々した失敗は冗談抜きでリアルに星の数ほどあるけれど、それでも自分の人生の選択だけは間違ったことがないと思ってる。もしかしたらもっといい選択があったのかもしれない。他の部活に入っていれば、他の大学に入っていれば、バイト先変えていれば、英語留学するの諦めなければ、もっとハッピーな人生だったのかもしれない。でも、悩んで苦しんで自分が最後に出した答えなら、きっとそれが正解。悩むのはしんどくてつらくて逃げだしたくなるけれど、それでも逃げずに最後まで悩みぬいた答えが間違っているはずがない。それだけは後悔しないように。そう思って生きてきた。

でも、ちょうど今「就職」という今までの人生で一番大きな岐路に立たされていて、全然正解とかわかんないし、新型コロナウイルスのせいでも見通したたないし、ストレスはたまりまくってるし、逃げ出したくなることばっか。本当に自分は正しい選択ができるのか自信がなかった。

失敗もしたし迷惑もかけたし泥だらけで傷だらけの23年間だけれど、自分の人生の選択を常に自らがし、責任を持ち、どれだけ手の皮が擦り切れても手綱を離さなかったことが、誰にも汚しようのないわたしの誇りなのです。

でも、それでも自分の人生の手綱を離さずに生きていこう。きっとその先にあるものが正解。自分の人生が100点満点じゃなくても、正解かどうかも関係なくて、自分の人生を自分で歩んできたという事実だけは変わらない私の「誇り」になるんだ。そう思えたら、少し頑張れそうになった。

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