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なぜ私は歩くのか



こんにちは。

前回のモノクロ写真の記事をたくさんの人に読んでいただけて、とても嬉しかったsayu.です。

今回は、私がなぜ毎回同じ道を歩き続けているのか..についてを書いていこうと思います。


というのも、私は10年近く毎回同じ農道を歩いています。(最近は冒険心で、新しい道も開拓していますが。)

なぜ毎回同じ道を歩くのか、と聞かれたら
「歩く場所がそこしか無かったから」という言葉がすぐに頭に浮かびます。

だけどそんなことをぼんやりと考えていたら、私自身が生きるために歩いていたのかもしれない、とふと思いました。

私は数年前までは毎日毎日、どうこの世界から逃げ出そうか、どうやって消えてしまおうかと思い詰めるほどの精神状態で日々をなんとか生きていました。

息が詰まりそうな生活の中で、唯一独りになれて、自分の時間を過ごすことができたのが、この農道を歩いて写真を撮っている時間でした。

苦しくて苦しくて辛い毎日の中で農道を歩けば、
風が麦畑の上を吹き抜けて麦がサワサワと揺れる音や
田んぼに水が張られた時の田んぼ独特の匂い
少しずつ稲が成長して、秋には重たそうに穂を垂らし
いつの間にか山から降りてきたたくさんのトンボたちが自分の頭上を飛んで行く景色。
ツバメが低く飛んで田んぼの虫を捕まえたり
トンビが空を舞いサギが田んぼの虫をつついたり

寒い冬を耐えた草たちが春の暖かさでいっせいに動き出して葉を茂らせ、花を咲かせ、そんな草たちの成長も毎回観察するのが楽しかったり

夕方になれば空が色づき
ひとつとして同じ景色のない夕暮れ空が広がり

そんな自然の中を、カメラを持ってとぼとぼと歩き
自分の目に飛び込んでくるその一瞬一瞬を、カメラのシャッターを押し、写す時間が、私に撮って救いの時間でした。

時には泣きながら歩くこともあったし
ある時は近所の人に消えてしまうのではないかと心配され
そんな農道でおばあちゃんと知り合い、お話をして、写真を渡して喜んでもらったり。

そうやって自分の心の中を整理する時間でもあり、癒しの時間でもあり、歩いてきた10年間でした。

ただのどこにでもあるような、何もないただ両側に田んぼが広がる農道だけど、私はその農道に救われ、生きてきました。

だから、私の写真は農道が多いし、きっとそんなに需要もないような写真しか撮ってない私だけれど、とても大切な道で、私には愛おしい景色たちなのです。

そんな農道の写真をこれからも撮り続けたいし、歩き続けたい。

私がなぜ毎回同じ道を歩くのか。

これが理由です。

最後に、そんな農道で撮った写真を少し。
季節の順番はバラバラですがお許しを。


爽やかな麦畑を吹き抜ける風
麦秋の麦畑
待ち遠しい春


冬の朝 芽を出した麦たち
キラキラと光る草たち
穂を垂らす稲
稲刈り後のツンとした藁の匂いが好き
空が広いからこその美しさ
初夏、田んぼの淵で咲くハンゲショウ
田植えの終わった田んぼと母子草
麦秋の麦畑と水を張った田んぼ
麦刈後の田んぼ
田焼き
用水路に水が入る
柿の木の新緑、ただただ美しい
秋の朝の濃霧
冬の朝の霜


霜の写真は、また別で今度投稿をしたいので1枚だけです。

ただの農道だけど、だからこその景色があって、私が救われてきた景色。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ではまた、次の投稿で。

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