14歳の君へ
中学生の頃、いじめに遭っていたが周りの大人に相談はしなかった
最近になって母親にそのことを打ち明けたら、根掘り葉掘り質問された
その流れで、中心となっていじめていた女に「ブス」などの暴言を吐かれたことがあると言ったら、母の第一声は「その子はかわいいの?」だった
普通に憎いとしか思っていなかったのもあって「かわいいと思ったことはないけど……」と答えると、母は満足そうに「なんだ!そいつの方がブスじゃん!」と言って、わたしの容姿を褒めそやした
間違っているとは、言いたくない
母なりの優しさを拒絶したいとも思わない
だから「かわいいと思ったことはない」と期待通りの答えを返したし、もっと言うといじめのことを墓場まで持っていかずにあえて母に伝えたのも、もしかしたら理不尽であったとしても肯定がほしいタイミングだったのかもしれない
でも、こういうことで正論を失うのが怖い
どんな容姿をしていても他人に「ブス」とか暴言を吐いてはいけないし、どんな容姿をしていても他人から「ブス」とか暴言を吐かれるのは、間違っている
報復の意味で「ブス」と言い返すことはいいとも言えるし、悪いとも言えるけど、初めにわたしが暴言を吐かれた事実に関して、それを言ったのが絶世の美女だったら、母は仕方がないねと言ったのか
わたしが "かわいく" なかったら、暴言を吐かれても仕方がなかったのか
わたしは自分のことを「かわいい」と認識しているが、わたしが存在していることや、わたしに人権があることの理由は、「かわいい」からではない
わたしはもう既に存在してしまっていて、存在している人間は、憲法などに代表される良心の集合によって、傷付けられず生きる権利を自動的に付与される
わたしがどんなに醜かろうと、どんなに頭の出来が悪かろうと、どんなに足が遅かろうと、正しくない言葉で罵られることはあってはならないし、醜くても、頭の出来が悪くても、足が遅くても、そんなわたしを社会も、友人たちも、わたし自身も、愛することができる
わたしは確かにかわいいが、誰かがわたしを愛するのは「かわいいから」ではない
国立大学に通っているからでもなく、楽器を吹くことができるからでもない
わたしが生きて生活を送ることの意味を軽んじる母の元で暮らすのをやめないと気づけなかった美しいほんとうのことが多くある
中学生の頃の自分はいまの母にすこし似ているけど、それでも、相談しなくてほんとうによかったと心から思います
ひとりで戦ったことは恥ずべきことではない
大丈夫、わたしと一緒に、正しく生きよう