ずっと「何か」が欲しかった
わたしは空っぽだと思う。自分を満たしてくれる「何か」ずっと探してる。
自慢でもなんでもないが、わたしは昔からなんでもそこそこできた。
ピアノも、水泳も、習字も、陸上も、バスケも、勉強も、家事も、接客のバイトも、始めてみたらそこそこできるようになっていた。繰り返し言うけど自慢じゃない。一度始めたことはだいたいの区切りが良いところまで必ず続けていたし、まあぼちぼち、と呼べるような結果もあった。勉強も学年で上位に入るくらいだった。どれもど田舎の小さいコミュニティの中でのことだけど。
所謂「優等生」だったのだと思う。委員長や生徒会を任されて、先生にも親にも怒られず、褒められるような子供だった。
自分がどうしたいか、よりもどうやったら親や先生に怒られずに済むか・褒められるか、だった。
テストで良い点が取れれば親に褒められる。習い事も勉強も運動も全部そう。親に認められたいから、怒られたくないから。それが自分にとって正解だったからそうしてきたし、なぜかわからないけどなんでもそこそこできてしまった。そこそこ、に過ぎないけど。それで困ることもなかった。高校生になるまでは。
高校3年生になって、大学受験が迫って、何もやりたいことがないと気付いた。やりたいことがないから行きたい大学もない。なんとなく、英語が得意だったから国際関係の学部を志望していた。センター利用推薦の面接で、志望動機と将来やりたいことを聞かれて、うすっぺらい、とってつけたようなことを喋った。面接練習の担当の先生に「もっと何かないの?」と何度も言われた。
大学で何かやりたいことが見つかると、見つけたいと思ってた。入学してすぐ少林寺拳法部とアカペラ部に入って、観光関係の資格をとり、ゼミでは観光や農業について学び、デザインの勉強にも手を出した。デザインはめちゃくちゃ楽しい。バイトもずっと続けて、何度も昇給したしそこそこ頼られているのだと思う。
友達から「なんでもできそうだよね」「バリバリ働いてそう」とよく言われる。
たぶん、「やれ」と言われたらなんでもやる。でも自分から何かがやりたい、はない。就活を始めたときも、「何がしたいかわからない、やりたいことなんてない、この仕事やれって言われたらやるのに」って言ってたな。
ずっと羨ましかった。いや、今でも羨ましいと思ってる。
「これ」を仕事にしたい、絶対にこれがいい、これだけは譲れない、と言える何かがある人たちが。絶対にこの仕事に就きたい、と高校卒業と同時に夢を叶えた友人。ここにしか行きたくない、と言って1社しか受けず、その会社に内定をもらっていった同期。このドラマが大好き、絶対にこんな仕事がしたい、この人と働きたい、と確固たる意志を持って進学した友人。私が見ているのは、その人たちのある一面に過ぎない、と言うのはわかっているのだけど。あまりにも眩しい。
なんでもできなくていいから、わたしも「これ」って言える何かが欲しかった。
欲しがっているだけじゃ何も始まらないとはわかっているのだけど。「何か」を探すのは、今からでも遅くないのかな。どうやって探していけばいいんだろう。
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