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家庭教師4ヶ月目 better than best

どうもこんにちは:-)
夏。
暑いですね。
冷房は苦手なのですが、暑さには敵わないし熱中症も怖いので、惜しみなく冷房を付けてます。

https://note.com/__ryuchan0907/n/n8f1d725b8037

小5+小3 1時間 週1日に加えて、
中学3年生を2時間 週3日の家庭教師をしています。


今月その子ができるようになったこと

①(小学生:以下『小』)漢字を書きながら喋れる

いつもだいたいは学校の宿題を見るのですが、よく出される宿題が「漢字練習」です。
漢字ドリルで読みや書き順を覚え、漢字ノートにひたすら書き写していくという宿題です。
この時間、特に僕から教えることがないので横で間違わないか見守るだけなのですが、最近は彼が書いている時に邪魔にならない程度に話しかけます。
「夏休みどこかいくん?」
「学校どう?」
「この漢字覚えた?」など

そしたら彼は、
「お母さぁん、どこ行くっけ〜?」
「算数は楽しいよ」
「わから〜ん」
と答えてくれます。

書きながら喋るってそれなりに頭を使わないとできないのかなと思うので、とてもすごいなと思うのです。
ただ、彼の宿題や記憶の邪魔にならない程度に、は意識していますが。



また、話はややずれますが、国語の学び方について思うことがあったので、ここに書いておこうと思います。

  1. 漢字をペンだこができながら、手の側面が黒くなりながら、ひたすら書く行為はいかがなものなのか

  2. 漢字を教える・覚えさせることの必要性

  3. 文章問題の出し方・解き方は適切か

それぞれ良い面・悪い面をあげて考えていきます。

1.漢字をひたすら書く宿題について
 良い面

→反復練習になり覚えているいないにかかわらず漢字力が強化される
 ほぼ誰でもできる
 書く習慣が身につく
 頭で覚える以上に体が覚える可能性がある
 悪い面
→時間の浪費、非効率的
 頭よりも腕がつかれて、次の勉強に支障が出る
 書いて覚えた気になる
 書いて覚える以外の方法を考える余地がない

2.漢字を教える・覚えさせることの必要性
 良い面
→文字への抵抗が減る
 語彙力が上がる
 漢字の部首などから分からない漢字の推測ができる
 意味の通る文章が書ける
 悪い面
→教える・覚えることが難しく、覚える人の力による
 検索してすぐに分かるので必要性が乏しく非効率的
 文章読解やコミュニケーション方法の方が必要
 習った漢字しか書かない

3.文章問題の出し方・解き方について
※前提:『小』の場合、キーワードを探し、前後から答えを探すという解き方で、パズルや数学のように当てはめる形式になっている。
 良い面
→英語でも近い解き方をするので他の教科でも転用できる
 文章を読む特訓になる
 短い文章から読解・理解できる力がつく
 漢字のように覚えて解くではなく、瞬発的に解く力がつく
 悪い面
→パターン化され、応用しづらい
 長い文章に抵抗感がある
 文章や言葉にある種の数学的な「答え」があると感じる(余白がない)
 国語の面白さが伝わりにくい


総じて、最後の「国語の面白さが伝わりにくい」がどの項目にも当てはまると思いました。
大前提として、国語の勉強の中の、漢字や文章読解の力は必ず必要だし、コミュニケーションだけでなく、様々な場面で生かされる。私達が今言葉や言語を失った時、生活が不便というレベル以上の大変さが想像できる。
にもかかわらず、国語を学ぶ必要性や面白味が感じられにくい勉強方法になっているのではないか、と感じました。
それは他の教科でも感じることで、どこか面白くない、どこか魅力的に感じない。
その原因はコレと断定もできないし、複数個あると思います。
分かる楽しさ、通じる面白さ、伝える嬉しさ、のようなものを感じたり、自ら欲することが理想だと、この文章を書いている中で思いました。
どのようにすれば、それらが実現できるのか、僕自身これから勉強していこうと思いました。 


僕ができるようになったこと

①bestではなくbetterで過ごす

良く言えば自然体で過ごせるようになった
悪く言えば慣れて向上心が薄れている

僕自身の問題で、今月はなかなか波に乗れませんでした。
落ち込んでいるわけではなく、体調を崩しているわけではないのですが、なかなかbestな状態に持っていくことができませんでした。

そんなことをポロリと友達に漏らしたら、教えてくれたのが、坂口恭平さんの『躁鬱大学』でした。(書籍も出ていますし、noteでも読めます)

これを読んで、少し救われたのと同時に、僕って躁鬱傾向があることを知りました。
そして今、鬱的傾向にあることを自覚し、無理にbestに持って行かないでおこうと思いました。

最初に言ったように「良く言えば自然体」で居れるし、その状態でも世間的には悪くないのであれば、それはむしろ良い状態なのではないか、とぐるぐると考え結局は良い風に解釈しました。

もし「微妙だな」「調子が上がらないな」という方がいれば読んでみてください。



②ノートを作成しよう その2

ティーチャーノートを作成しよう!と前回意気込んでいましたが、すみません。手がつけられていません。
構想はありますし、僕自身勉強したいのですが、何かと言い訳をして後回しにしていました。
1ページから進めていきます。

まとめ

今回はトピックを少なく、内容を厚くしました。
書いた通り今月はブレーキがかかった1ヶ月だったように思います。
甘えと捉えられるし、休息と捉えることもできる。
今の僕の過ごし方、人生観においても同じように多面的に捉えられることができます。

今回、国語の勉強について良い面・悪い面と考えてみました。
どちらも同じ数だけ、質や重みもできるだけ等しくなるよに考えてみました。どう見るか、どこから見るかによって感じ方考え方は変わります。
良いように見ようと思えば良く見え、悪いように見れば悪く見えるものです。しかし、一つ言えるのが、『どのように見るかは自分で決められる』ということです。
「世間じゃ通用しないよ」「他に同じことしてる人おる?」「そんなん知られたら恥ずかしい」「〇〇さんはそうらしいで」「あの子の親やからなぁ」
それは誰目線での言葉ですか?あなたの言葉ですか?
悪いように見てる人の側について見ているのでしょう?

他の視点もあるんじゃないか。言われたらどうかな。言ってしまったらどう感じるかな。自分はどうしたいかな。
よい出しの視点も、メタ認知も同じです。
自分だけの1視点から見てはいないか?
を考えられるようになれば、メタ認知の1歩です。

僕もまだまだですが、勉強然り、家庭教師然り、尽力していこうと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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りゅうちゃん
すごい勇気をありがとうございます。