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エストレヤ 1997 BJ250-D2

ぼくが初めてバイクに乗ったのは記録によると24歳のころの教習所ででした。昭和だとみんな高校入るとすぐとか車より先に免許取る、みたいな話が多かったですが、下町のくせに親が変に厳しくてバイクはずっと反対されていたから、大学出て就職してひとり暮らしするまで我慢していたような感じです。都内だからか両親自体40過ぎるまで車の免許も持っていなかったっていうのもあるかと思います。ただ18になってすぐ車の免許はとらせてくれたのでとても感謝してます。

就職氷河期と言われてたけど本当に全然内定がもらえなかった中、なんとかもぐりこんだ最初の会社で1年で引っ越し費用を貯めて都内の下町じゃない方で念願のひとり暮らしをはじめ、すぐに仕事場だった横浜とアパートの中間地点である(現在の家の超近くの)教習所に通い始め、普通自動二輪免許を取りました。あがり症で卒検おちまくりで全然すぐには取れなかったんですがそれはさておき。

ずっと乗りたかったバイクにやっと乗れるようになったわけですが、もっと若い時はやはりデカいハーレーに憧れていたけど予定通りには背は伸びず、トラとかノートンとかそういう英車風のがあってるかな、と思うようになっていました。どっかでエストレヤを見て「これだ」と思って、どうしたらいいかわからないからKawasaki本社に電話して近くの取扱店舗を教えてもらい、早速電話して電車で行って「エストレア欲しいんですけど」って取り寄せてもらって新車で1997年型のエストレヤカスタム(BJ250-D2)買いました。前後ドラムブレーキでセパレートシート、写真のやつです。納車は1998年2月だったかと思います。いい客だよな~。

もう25年以上前ですが初めて公道を自分のバイクを運転したときのことはまだぼんやり覚えています。もう暗くなってた中、環七沿いのバイク屋から駒沢通りを上って青山あたりまで行って折り返してきただけだったと思いますが、本当にドキドキしました。なんせそれまで周りにバイクに乗っていた友達もいなかったし、後ろにさえ乗ったことなった訳で。

他に乗ったことないけどエストレヤは本当にいいバイクで、はじめてのバイクにはとてもよかったんじゃないかと思います。なんせ壊れない。仕事場にも遊びにもなんなら飲みにも乗って行ってたし、一番遠くまで行ったのは神戸から明石海峡大橋渡って四国に入り、瀬戸大橋渡って倉敷までかな。大学出て入ったアパレルメーカーを3年で辞めて所謂セレクトショップに入って5年務めて30で辞めて、その後の旅でした。途中静岡と名古屋と大阪で友達のところに泊めてもらって、本当は倉敷からぼんやり九州まで行くつもりだったんだけど瀬戸大橋のトイレでデジカメをトイレに落としてメモリーカードが無事か気になって引き返して来てしまった。帰りは名古屋までは一気に走って一泊し、静岡にも一泊して帰ったのを覚えてます。今考えると250ccで良くやるよな~って思います。

事故もなく過ごさせてくれてバイクの楽しさを教えてくれたのに、最後は結局私の不注意で廃車にしてまったかわいそうなエストレヤ。写真はその時のバイク屋でのものです。8年くらい乗ったのかな?今は公開してない当時のブログ記事を引用します。

またちょっとだけ乗りたいな。

「さようなら」

やはりもう遅すぎたようです。さっきさよならを行ってきました。「手遅れです」を言い渡されて、とりあえず写真を撮りました。そんでさっきセピアに加工してみました。
しかしものすごい脱力感。廃車手続きのために書類を出したところ、ぼくのところにやってきたのは平成9年12月26日※。1997年から10年近く乗ってきた相棒、さようなら。
「大事に乗ってきたのに悪いんだけど」と言い難そうにバイク屋のオヤジは言ってましたが、本当に大事に乗ってればこういう状態になるはずがないのは誰だってわかる。オイルさえマメに変えてれば良かったんだから。次は大型取って英国車に乗りたいと思っていたんだけど、こんなに不勉強なぼくにはムリかもしれないな。とにかく「無い生活」に慣れるしかない。

2006年06月18日 17:39

※「平成9年12月26日」は書類上の日付の間違いかと思います。たぶん。


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