今日から明日にかけて猛暑日となるでしょう。



蚊がでてきはじめたので夏が始まったのかと思った。嫌いではないけど、音が耳障りなので申し訳なさそうに(それも別に本当に思ってはいないのだけど)殺戮を何らかの神に許して貰おうとうろ覚えで体の前で手をゆらゆらと揺らしてアーメン、と呟いた。それからのそりと重い腰を上げる。左足には痛々しい畳の痕がついていて、何故か更に蚊への殺意が膨らむことになる。どこへやったのか、蚊取り線香を探すにも見つからない。無造作に散らばった押し入れの中に体を半分入れてみてもドラえもんの気分は味わえないどころか少しじめっとしていて不快だった。ここに蚊取り線香を入れたと思っていた。夏の魔物が記憶の改竄でもしているのかもしれない。じめじめとした押し入れから這い出してのそのそと家の中を歩き回る。ふと目についた壁に吊ってあったカレンダーはまだ5月と表記されていた。それが、捲るのが面倒くさくなって5月のまま放置しているのか、それとも本当に今が5月なのか、自分にはわからなかったしこの部屋に正解がみつかるような代物はなかった。まあ今が何月かであるかより部屋に蚊が出てきた方が重要で、とりあえず手の届くところを探してみても見つからない。時間がたつごとに何故かそのままにしている蚊が夏の魔物によって肥大化でもしてるんじゃないかと妙な妄想に襲われる。嫌いではないけど、さすがに頭の中のその大きな生命には背筋が凍るような恐怖があった。蚊取り線香は見つからないし、そんな空間にいるのも嫌で、現実逃避といわれれば反論はできないけどとりあえずポケットに財布と携帯が入っていることを確認して外に出ることにした。不用心だとは思ったがベランダの窓を全開にして。どこから現れるかわからないものにおどおどと窓を開けたけど、その時耳鳴りな音は聞こえなかった気がする。

家賃で住む場所を選んでしまったため駅まで歩いて15分という微妙な位置ではあったけど、まあまあ気に入っていた。最寄りのコンビニが駅くらいの距離にあれば発狂していたと思う。高架下の薄暗い珈琲ショップにはいると客は一人もいなかった。むしろ好都合。いつもの、と言いたいところだったけど生憎ここに入ったのは初めてで、レジの前で10分は悩んでしまった。適当に喫煙室にはいるとやたら寒くて、実は今は冬なんじゃないかと疑った。窓から遠い席に着く前に灰皿を探すも見つからない。一旦レジに戻って場所を訪ねると、店内禁煙であると眉をさげて謝られた。なんだかおかしい日だ。適当な席に着いて頼んだアイスコーヒーを待っているとカップになみなみのホットコーヒーがでてきた。暫く不思議に思っているうちに、そもそも自分はコーヒーがのめないことを思い出した。

夢でもみているのか?そうは思ったけどなんだか不思議と心が軽かったのでホットコーヒーに口をつけるとそこに入っていたのは甘ったるいココアだった。多分今は冬なのだ。ゆっくりとココアを飲み干して外に出ると蝉の声で条件反射のように汗が噴き出した。なんだ、終末でも迫ってきているのかな。目の前では肥大化した蚊がぼくの方をみていた。


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