背徳のチョコレートパフェ

例えばあの太陽の力を借りてしか輝けない月まで走って行ったら僕の重さは変わるんだろうか。
例えば小学生のときに女子が使っていたピカピカのペンで輪郭をなぞったら僕の形は変わるんだろうか。

さっきまで足の爪先から伸びたもうひとりの僕が消えたのに気づいて空を見上げると、おうおうと存在感を放つ灰色の雲が一面に広がっていた。残念ながら今日は月がきれいですね、なんて常套句は使えない。こんな日に、僕ならどうやって大好きなあの人に告白するのだろう、と考えて大好きな人なんていないことを思い出す。
深夜2時。田舎といえどコンビニもファミレスも24時間営業だし、時たま僕の横をエンジン音の煩い車が走り抜ける。街は眠らない。きっと3時になっても4時になってもこの街が静かになることはないだろう。静寂は割とすきな方だったけど、人の声以外の騒音も嫌いじゃない。なんていうか、世界から取り残されたような気分になって、それがなんだか心地よかった。

星の光を邪魔するようにピカピカと辺りを照らし続ける店の中に入る。いらっしゃいませ、と眠そうな大学生に声をかけられた。一人だということをジェスチャーで伝えてがらがらの店内を見渡す。一番レジに近い、ソファのある二人席を選んだのは、さっさと帰りたいからじゃない。
深夜だというのに既に朝食のメニュー表が置かれていた。それには目もくれず一番分厚い通常のメニュー表をぱらぱらと捲る。最後のページに載っているそれに、僕の半開きの目が少し大きくなった。チョコレートパフェ。ストロベリーパフェ。期間限定のモンブランパフェ。僕がこんな時間にファミレスに入ったのは、紛れもなくこいつたちのためだった。
すいません、と右手をあげる。が、店員はこない。声が小さかったのかと少し声を張ってもう一度すいません。キッチンの方にいるショートカットの金髪女子と目があった。はーい、と奥から声が聞こえてこちらへ急ぎ足でやってきた。
「チョコレートパフェひとつ」
僕のスマホより一回り大きな端末をいじくってそそくさと奥に帰っていく。不要になったメニュー表を左横にたてかけ、テーブルに肘をついてうとうとしていると、さっきの金髪女子がかえってきた。
「申し訳ありません、本日チョコレートパフェは売れ切れておりまして」
なんという棒読み加減。微塵も申し訳ないとか思ってないだろこの女。
「あーじゃあ」
机の横にしまったばかりのメニュー表を再び開く。いちごは嫌いだった。かといって栗も嫌いだった。
「ドリンクバーで」
「かしこまりました」
本当に世界は狂ってやがる。僕はチョコレートパフェを食べにわざわざ歩いてきたというのに。仕方なく席から立ち上がりドリンクバーに向かった。コップを持ってうろうろと機械の前を行き来する。10分ほど悩んで結局山葡萄のソーダにした。席に戻る前にストローに口をつけるといつもより味が薄い気がして、そのまま流してしまった。なんだか少し泣きたくなった。

クーポンと2枚の百円玉を渡して店を後にする。店内に比べてつくりものじゃない冷たさが半袖から伸びる皮膚の上を伝った。思わず身震いすると、余計に鳥肌がたって気持ち悪い。
チョコレートパフェを諦めきれなかったぼくは家とファミレスの真ん中くらいの場所にあるコンビニに寄って小さなパフェを買った。百円玉を3枚出して店を出ると車が一台も止まってない駐車場の端に座って袋からパフェを取り出す。蓋をあけるとなんとも甘い匂いがして、なぜか先程の金髪女子を思い出した。甘くもなんともないあの女を思い出したのが少し屈辱で、パフェを一口頬張る。くちいっぱいに甘さがひろがって、幸せなはずなのに、その甘ったるさに気持ち悪さを覚えた。例えるならば背徳の味。その気持ち悪さに、心拍数が少し早くなった。

僕は所謂引きこもりだった。といっても学校に行ってないだけで外出はする。あ、それは不登校って言うんだっけ。まあいいや。高い金を払ってくれている両親にはまだ言ってない。落ちていた石ころを軽く蹴ると、サンダルから飛び出た指に石が当たった。痛い。
不登校の理由なんて特にないし、さすがに大学生にもなっていじめなんて幼稚なものがあったわけでもない。でもなぜかたくさんいた友達も、毎日1限から寝ることもなく頑張っていた授業も、全部放り出したくなった。放り出したら、なんだか生きてる心地がしなくて、それが癖になってしまったのかもしれない。念のためにいうが不幸に酔ってるわけではない。
有り余るほどの日常を全て放棄して得たものといえば、時間くらい。アルバイトをしようとしていた時期もあったけど、1日でばっくれた。未だに元バイト先から電話がかかってくるけど出たことはない。この生活が好きかと言われたらそうでもないけど、まあ別に不自由はしていなかった。
ちゃんとレールの上を歩く生活をしなきゃいけないことはわかってた。レールの上を歩いているつもりだった。脱線したのは、なにがあったからなんだろう。もしくは、なにもなかったか。

マンションのオートロックをあけて中に入る。大学には寮もあったけど、門限のある生活はごめんだった。自分の部屋に前で立ち止まり、数秒。僕は思い切り目の前のドアを蹴った。がんと大きな音がして、廊下中に金属が擦れた音が響き渡る。後で怒られるのかなと思った。でも未来のことはどうでもよかった。来た道を戻る。僕は思い切り走った。体力もなければ運動神経もわるい。それでも、走った。口の中に残る安いチョコレートパフェの甘さが、僕を殺すような気がして、道路に唾を吐いた。
僕は自分がわからなかった。何者かなんて聞かれてもきっと答えられない。でも別にそれでいい。
孤独は自由だ。唾を一つ飲み込んで、それから、僕は。



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