それが勘違いだったとしても①


立て付けの悪いドアを開いてピカピカと明るい部屋の中に入る。別に誰が待っているわけでもないのに黙々と仕事をこなす剥き出しの電球に向けて、ありがとうなんていう気分じゃなかった。
誰もいない部屋。誰もいない明るい部屋。ちっぽけな給料から毎回誰もいない部屋を照らす電気の料金を払うのは勿体無い気もしたが、そうでもしないと俺の気が狂いそうだった。トラウマとも言い難い少し前の出来事に、ここまで心を持っていかれるとは思わなかった。真っ暗闇の部屋になんて戻れない。あいつがもういないことは理解してるはずだけど、それでも六等星くらいの小さな希望を捨てられないのは、俺の心が弱いからだろう。

赤いパッケージの箱から煙草を一本取り出す。ピアニッシモと言う名のいつもより細いこれを口の間に挟んで、ポケットを乱雑に弄って見つけた百円ライターで火をつける。ジッポは家を出る際にあいつに持ってかれた。まあ元々あいつのものだったんだけど。煙草を指で挟んで少し勢いよく息を吐く。薄く開けられた口から吐き出される煙が、メンソールなこともあって少しとんがっていた。俺のとは違う、あいつの匂い。真似して買ってみたけど、虚しくなるだけで寂しさが紛れることはなかった。
一本抜き出されただけのほぼ新品の箱をくずかごに投げようとして、振り上げた左腕を振るうことなくだらりと下ろす。そのまま倒れるように敷きっぱなしの布団の上に転がると、窓から見えたのは妙にでかい白い月。朝が近づいていた。太陽の光を浴びて徐々に存在感をなくす月が惨めで、哀れで、俺みたいだった。
きっとこうなることはわかってた。いつまでも同じ場所にはいられない。あいつだって、居場所は自分で決めたいはずだ。俺の隣を捨てたって、文句を言う権利は誰にもない。それなのに、俺はどうなんだろう。居場所を決められないままずるずるここにいるけど、よくないことを一番わかっているのは多分俺。なのに、動けない。どこにも行けないし、ここの居心地がいいわけでもない。なににも執着がない俺が、居場所を選ぶ権利がどこにあるのだろう。
我がないと言われ続けてはや三年目。就職難民を続けていたら年下のあいつに先を越されてしまった。なんとも情けない。未だにフリーターの俺についてこいなんていう器量も貯金もない。こんな古ぼけた雨漏りがひどい部屋に住まわせるわけにもいかない、よくてチェーンの牛丼くらいしか奢ってやれないのにも、全ての原因は俺にあった。無理矢理にでもどこかの企業に入っていれば、続けているバイトでやる気を見せて正社員登用にのっていれば。今更言ったところで後悔を引き出すばかり。自由になったはずの毎日に、首を絞められているような気がした。

朝が近づいていた。大嫌いな朝だ。といっても、もうこの生活になってしまってから朝という感覚はなくなっていた。太陽が昇るか、月がのぼるか。窓から見えるそれだけを頼りに時間を想像しては、溜息を吐き出す。きっと死ぬまでこのままなんだろう。あいつが出て行った日に、なにか決意をしたはずなのにもう心には一片のかけらも残っておらず。そうやって、無駄に消費されて死ぬんだ。もし俺の寿命が売れたところで、おそらく毎日無駄死にする命の元を柔らかく包むティッシュ代にもならない。大嫌いな朝より嫌いな、自分。散らかった床を泳いで手に触れたものを掴む。いつだったかバイト先の後輩にもらったライブのチケット。紙面を霞んだ視界に写せば、開催日時がぼんやりと見えた。しばらく見て、それからポケットに入ったまんまの携帯に手をやる。眩しい画面の日付が間違ってなければ、多分開催は今日の夜。手書きのそのチケットには下手くそでシンプルすぎる地図。ここから電車で一駅、駅からは歩いて五分と書かれていた。偶然にも今日は連勤しすぎと店長に言われるがままとった休みだった。脳裏に俺より四つも若い後輩のきらきらとした顔が映る。絶対来てくださいね!なんて言葉にへーへー、と答えた気がする。俺と後輩は友達ではないけれど、友情料金とやらでタダでもらった。タダなら別にいってもいいか、とも思ったけどさすがに連勤が続いて疲れていたのか、俺の思考はそこで止まった。まあいい、起きたときの俺に考えを委ねよう。秋というには寒すぎる季節に、毛布も被らずそのまま太陽の光を浴びながら眠った。


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