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まばゆい

「あ」

 テレビの下に設置されている小さな冷蔵庫の蓋を開け、しまった、と思ったら声が出ていた。ベッドに座りながら脇のテーブルにある灰皿に用がある彼は体を前に傾けながらこちらをちらりとも見ずにどうしたの、と聞いてくる。興味のなさそうな声。それが当たり前じゃないのに当たり前のようでなんだかすこし不思議だった。パンツすら履かずすっぱだかの私がここにいることはある意味偶然で、それでいて必然的なものだ。必然。でも、必然というのは自らつくりだすもので、つくりだしたからこそ必然になる。まあ何が言いたいかというと、私は彼とここに来られるように仕向け、結果ラブホテルですべき当たり前のことを彼といたした、そういうわけだった。

「コンビニ寄ったときほうじ茶買うの忘れちゃった」
「ほうじ茶?」
「うん、朝は毎日飲んでるんだ」
「へー」後ろでライターが火を灯す音がする。

「明日出るとき買えばいいじゃん」
「んー、そうだね。そうする」
「ほうじ茶なんか好きなの」

 ほうじ茶なんか?

「え、すきだよ、なんで?」
「や、なんとなく」

 彼のなんとなくは本当になんとなくだ。なんの理由もなく口から出ただけだから疑問に理由はない。とりあえず聞いた、そんなようなニュアンス。
 別にそのことについて私も何も思うことはなかった。

 部屋の灯りは数字で言えば2くらいで、明るくはないが真っ暗にしないと寝ない私にとっては暗い、と思うこともない。相手の行動が見えるくらいの、それくらいの灯り。相手の気持ちも、明日の予定も、そういう難解なことは見えないくらいの、それくらいの灯り。
 冷蔵庫を一旦閉め、ゆるゆるのスリッパで床を鳴らしながら洗面台まで移動する。彼はさっきから煙草の煙を口から吐き出し続けている。一体何本吸ったんだろう。飲料水です、と注意書きを添えられた蛇口から水をだしコップを半分くらい満たす。持ち上げて傾ければ水は口の中に入り喉を潤してくれた。少しぬるいその水は、私たちみたいで、私たちよりはあたたかい。

「明日何時に出る?」
「あー、チェックアウト何時だっけ」
「えーっと、」テーブルに戻りソファに座って注意書きをよむ。
「11時」
後ろから覗き込んだ彼の声が耳の近くで聞こえた。
「わ」
「あーでも僕あした10時に新幹線予約してる」
「あ、そうなの? じゃあ9時には出たほうがいいかな?」
「ちょっと遅いかな、8時に出たい」
「わかった」

 タイムリミットは8時。煙草の吸い殻を灰皿に押し付け、彼の手がそのまま私の胸に触れた。

「まだする?」
「あといっかいだけ」

 うん、と頷き彼の方をみるとキスをされ、流れるようにソファに押し倒された。何度かキスをしてから彼のベッド行こ、というかすれるような小さな声と私の体を持ち上げようと引っ張る腕に身を任せる。既に喉はからからで、コップを持ってくればよかったと後悔した。

 思ったよりキスがうまくなくて、思ったより前戯が長くて、思ったより力まかせだった。ただ、果てるときに私の体をぎゅっと抱きしめてくれるから、胸が痛くてたまらなかった。私は思ったより彼のことがすきだった。

 キスを合図に行為がはじまること。そのときにはもう既に彼は興奮していること。首を噛むのが好きなこと。同じように首を噛むことを私に要求すること。体の全てに彼の指紋がつくくらい体中触ること。舐めるのは好きではないこと。最中に私の手首を強く掴むこと。それから、それから、それから。

 目が覚めると隣で彼が寝ていた。小さく寝息を立てながら、幼い顔をしていた。おそるおそるつっついてみたが、起きることはなかった。彼のタイムリミットは8時。でもね、私のタイムリミットは6時30分なんだよ。知らないでしょう。聞かれなかったし、私も言わなかった。
 起きないようにそろそろとベッドから降り、脱ぎ捨てられた洋服を拾って昨日と同じ服を着る。彼の洋服やパンツはソファの端に畳んで置いておいた。急ぎ早に荷物を整理し、ぐちゃぐちゃのままキャリーケースに詰め込む。あとで連絡することもできたけど、テーブルの上にメモ帳をみつけてそこに先に出ることとお礼の言葉を書いた。お金は部屋の代金が11800円だったので、15000円をメモ帳の隣に置いた。

「ほうじ茶買いに行かなきゃ」

 聞こえないように起きないように小さな声でそう言い、重たいドアをできるだけ静かに開けた。鍵を開けるときのガチャンという音は意外に大きかったがおそるおそる部屋を覗いても起きる気配はなかった。

 またきたいな。ここじゃなくても、どこでも、いつでも、なんとなくでも。ホテルを出ると既に明るかった。道路の前にできた水たまりに太陽の光が反射して眩しかった。誕生日の朝。いままでのどの誕生日よりも眩しかった。ぜんぶ。

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