口を開いて出るものが言葉であるとは限らない。

昨日、昨日のことを思い出してみる。携帯するのに不便な小さいのにやたら重いスケジュール帳に書き出してみる。私はゴミでクズのフリーターだから、実家に寄生させてもらっているのに食費も出さないし、ハタチを超えてるのに父親の会社の保険に入っているし、自分で払う税金なんて消費税くらいだし、ちみちみ稼いだハウスダストくらいのバイトの給料だって全部自分で使う。ゴミでクズのフリーターだからね。そんなゴミにも生きる糧というのがあったのだ。昨日まで。本当はバイトさえしたくないのだが、なにぶん生きる糧を得ようとするのには少なくない、ハウスダストより少し大きめのお金が必要で、そのために仕方なく働く。年齢が自分より下の大学入りたての年下の先輩に毎日怒られながら、なんで何回やっても覚えられないの、どれだけ要領悪いのって怒られながら、都会の最低賃金にも満たない金額をもらっている。時給が高くない割に休憩は必ずとらなければいけなくて、1日、24時間のうちたった4時間ほど働いて、今日もハウスダストを増やす。それで、ようやく得た生きる糧が、終わってしまった。昨日。感情とも言い難い、言葉にもできないあれやこれが、自分の体の中なのか外なのかわからないところでぐるぐると、円を描くように回っている。嫌、円なんて綺麗なもんじゃない。いろんなところでいろんな形を描いたそれはぐちゃぐちゃで、形の塊のはずなのに形なんて見えなくなっていて、それを言葉で表すことができない。そのよくわからない塊のようなものは、昨日という生きる糧が終わっても、ずっと存在していた。存在していたというより、存在し続けていて欲しくて認知することをやめられなかった、ともいうんだけど。

昨日、昨日のことを思い出してみる。携帯するのに不便な小さいのにやたら重いスケジュール帳に書き出してみる。日にちと場所と、それから生きる糧が始まるまでのどうでもいい、記さなくてもいいところだけ書いて、あとは言葉にできなくなってしまった。今は筆が乗らない(正確には筆じゃなくてボールペンだけど)のかなと思って文章の途中でぱたりとスケジュール帳を閉じた。生きる糧、というくらいなので私のちっぽけな人生においてはまあまあ大きなことなのだから、忘れないうちに、他の記憶が上から被さって見えなくなる前に記しておきたかった。筆が乗るのを待ってから書こうと思っていた。もう、忘れてしまっていた。言葉にもできないあれやこれの、なんの形も成さない塊は確かにまだ存在しているのに、存在しているはずなのに、もうそれを思い出すことができない。存在しているだけでは、意味がなかった。認知もしているのに、もう見えない。どれだけ記憶力がないのだろうと思ったけど、それもまた少し違う。結局なにも言葉にできない。生きる糧でさえ言葉にできない。たくさんの言葉にもできないあれやこれが生まれたはずなのに、言葉にできなかったら、スケジュール帳に書き出しておかなければ、あとから思い出すことはほぼほぼ不可能に近い。でも今、既に不可能が隣にいる。もしくは、不可能は私より先を歩いているかもしれない。句点の打たれなかった文章が、何か言いたげにこちらを見ていたが、何が言いたいのかさえもうわからない。生きる糧は昨日で終わった。生まれたなにかもどこかへ行ってしまった。どうしようもないゴミでクズのフリーターである私は、もやもやしながら、そのもやもやも言葉にできないまま、今日も年下の先輩に怒られに、都会の最低賃金にも満たないちっぽけな金額をもらいに、バイト先に出向く。生きる糧が終わったにも関わらずまだ生きる私ってなんなんだろう。まあ、この答えひとつとっても、言葉にできないんだからどうしようもない。