夏、微炭酸


コーラを飲む、という行為は僕にとって一種の自傷行為だった。なにを言っているんだといわれるかもしれないけど、自分を傷つけているのだから自傷行為なのだと思う。少し前までリストカットだとオーバードーズだの、精神病患者的に当たり前になっている自傷行為もやっていたのだが、そのうち何も感じなくなって、病院に運ばれるたびに右から左に流れるような話を聞かされるのも面倒くさくなって、何回目かの退院の日になんとなく買ったコーラを飲んだ時、これだ、と思った。口に含んだコーラはそのまま流動的に喉の奥に雪崩れ込むように運ばれていき、そのしゅわしゅわ、とは形容しがたい痛みが僕の喉を熱くした。じゅわじゅわ、でもない、じりじり、でもない。夏にお誂えのコマーシャルが似合うその飲み物は僕が言うなればだくだく、みたいな感じだった。ちなみに、これはコーラだけの話ではない。ペプシとか、そういう問題でもなくて、微炭酸で有名な黄色い飲料も、瓶詰めにされたCというにはイメージが難しいオレンジ色の飲料も、グレープとかオレンジとかレモンとか、何でもかんでも混ぜればいいってもんじゃない、みたいな高校生の夏みたいな飲料も、全部含めて自傷行為に違いはなかった。まあつまり、所謂炭酸飲料というものが僕の体に合わないのだ。好き嫌いとかいう話ではなくて、喉に流し込まれた瞬間に真夏日に灼かれるコンクリートのような、都会では植物が生きていけないような、そんな熱さが生まれ、次の瞬間には胃液やら何やらと一緒に目の前の打ちっ放しの床に吐き出される。それを見た周りの人の幾人かは、ぎょっと目を見開いて僕の側から一歩退いていたけど、大体の人がそれを認識しつつも存在しないような、僕自体がいないように微動だにしなかった。当たり前だ、初めてのことではない。僕はここに来てはコーラを頼み、喉を潤す以外の目的でそれを口に含み、そして吐き出す。店員らしき人はもうそれの処理をしてくれることはなくなった。代わりに壁に面した黒い足の長い机の上に、ぼろぼろの雑巾が置かれるようになっていた。不自然に、そして無意識に上がった口角に自分で気づくことはなく、僕は青赤黄色やらのライトに照らされた色のわからないそれを端の方にある持つだけで手が汚れそうな雑巾で作業的に処理した。

僕は炭酸アレルギーと呼んでいる。そんなものが本当にあるのかはわからないけど、自分で名付けたそれを、僕はやけに気に入っていた。

僕の中から出た体液と体に有害そうな糖類やらで更に汚くなった雑巾を、周りにべたべたとステッカーが貼られた洗面所に水を貯めてその中で泳がせてみた。透明だった水は少しずつ濁り、その様がなかなかに僕をいい気分にさせてくれた。ドアを一枚隔てたこの場所は、割と静かだ。このドアの向こう側ではアルコールと、煙草の煙の匂いと、それから生きることは素晴らしいだの続けることに意味があるだの死ぬ気でついてこいだの情熱がこもっているのかはっきりとは理解しがたい言葉が飛び交っていた。といってもレスポンスはあまりよくはなく、当たり前だ今日は週の真ん中の水曜日で、しかもまだ夏故に明るい18時で、ステージにいるのは多分ゼップどころかシェルターでワンマンをやったところで埋められないであろうバンドで、将来の見込みもないくせに上京してきたバンドで、週末の人気公演の前座的な扱いを受ける、言わば穴埋め的なライブだった。勿論僕は好んでそういうライブに行っている。好きな音楽なんて特にないくせに、通勤のお供にすら音楽なんて聞かないくせに、アパートから近いライブハウスにはよく足を運んでは、コーラを飲んでいた。まあよく出禁にならないで済んでるなあ。くらいで。なったらなったで別の場所に赴くだけなのだけど。栓を抜いて、濁った水を排水口に流す。途中で雑巾が栓の代わりをして、水が流れなくなってしまって、少しいい気味だ、と思った。バンドなんて、本当に興味がなかった。高校生から会社を辞めたいい大人まで、割と色々見てきたけど、なにを目指しているのかわからない。兎に角五月蝿くて、耳と脳をつんざくようで、綺麗事にしか聞こえない言葉だらけで、夢とやらを追っている。意味がわからない。全くもって、意味がわからない。ある意味コーラを飲む、という行為と共に、ここにくることも自傷行為であった。高校の時に部活に入ることを必須とされていて、部員が少なく活動も少ない文芸部に入っていた。何もする気も残す気もなかったのに、文化祭でみんなで文章を寄せ集めた文集を出すというのを聞いたのは締め切りから一週間前に迫った日だった。ほぼ幽霊部員だった僕に大人しくて人とコミュニケーションをとるのが苦手であろう部長とやらが申し訳なさそうに僕の教室までやってきた。面倒くさい、と断ったけどこれをしないと内申に響くやらなんやらと言われて、半ば無理やりしぶしぶパソコンのディスプレイの前に座った。フィクションでもノンフィクションでもなんでもいいと言われても、書くことなんて思いつかない。それでもいつまでも事を引きずりたくはなかったのでその時僕が常日頃考えていた希死念慮についてつらつらと書いた。まとまりも意味も読む面白さもないようなその原稿用紙4枚分くらいの文章は、数箇所削られて文集の最後に乗った。僕の名前は名簿に載っているのだから知っていたはずなのに、文章は何故か匿名で載っていた。雑巾を持ち上げると、つんと胃液特有の酸っぱい匂いがして、胸糞悪くなった。それを近くのゴミ箱に放り込むとドアを開け、その瞬間音の大きさに二の腕に鳥肌がたった。

少しして、静かになった。BGMとしてテレビで聞く事もないよくわからないバンド音楽が流れていた。僕はまたカウンターに行ってコーラを頼んだ。僕の手のひらから離れた500円玉は、店員によってむしり取るようにレジの中に収納された。今日2杯目のコーラを手に取りフロアに戻る。次は弾き語りらしい。でかいギターケースからアコースティックギターを取り出した派手なのか地味なのかわからないだらだらの服を着た年齢不詳の男だった。多分この男は生きることは素晴らしいなんて歌は歌わないんだろうな、みたいなのが雰囲気でわかった。僕の書いた最初で最後の文章みたいな、そんな歌を歌うのだろう。一つ前のバンドより断然聞きごたえがあるだろうと音楽に一ミリも興味のない僕が少しだけ期待していた男は予想通りの歌を歌った。ありふれた言葉を連ねたような歌詞なのに生きたい願望がまるでなく、何故この男は生きているんだろうと思った。弾き語りの最中、僕はコーラを一口も口にせず、男が最後の歌です、と言ってから歌ったその歌を聞いて、僕はさっきの何倍も吐いた。夕飯なんて食べてなくほぼ空腹だったはずなのに、何が出ているんだと不思議になるほど、吐いた。それを見て、ステージの男が少しだけ許されたような表情をした。


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