それが勘違いだったとしても②

駅を一つ跨ぐというのは、どうやらおもったよりも見る世界を変えてくれるらしい。一時間かけて都内にいくことはあっても、一つさきの駅にくることはほぼない。というか、俺にとってははじめてだった。同じような景色が広がっているのかと思えば、見たことない猫が前を横切り、昔地元で嗅いだことのあるような匂いがし、この家の今日の夕飯はカレーだな、なんて想像してみたり。どこにでもあるような景色だったけど、俺の住む町ではなかった。当たり前か。
太陽が沈む寸前だった。昨日と同じパーカーのポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出す。バイト先の後輩からもらった、手書きのチケット。そこに書かれていた開場時刻とやらからとうに一時間余りの時間が経っていた。寝坊してしまったんだからしょうがない。いくつかバンド名らしき横文字が並んでいたが一つも知っているものなどなかったし、後輩がどれに属しているかもわからない。もしかしたらもう終わっているかもしれなかったけど、タダでもらったからには、適当ではあったけど行くと返事をしたからには行くしかない。もし出番が終わっていたら、後輩に牛丼でも奢ってやろう。そんな感じでチケットに書かれていた場所に着いた。ライブハウスからはみ出るように音が次々と俺の耳に届く。雑音としかいいようがなかったそれに、来たことを悔やんだがまあとりあえず入ってみよう、てなかんじでガラス戸を開け、暇そうにしている店番をしていた金髪に声をかけた。

ライブハウスの中は外とは比べようもないほどの音が立ち込めていた。想像していた音と音の調和なんてものは一切なく、音同士が殴り合いの喧嘩をしているような、そんな雰囲気だった。楽器を振るいながらステージに立つ学生らしき面々は、メンバーでありながらもお互いのことはまともに見ず、俺を見てくれ!みたいな自己主張の激しいパフォーマンスだった。想像と違いすぎて、帰りたくなってきた。在学中もこんな場所とは縁のない生活をしていたため、偶然にもこれがはじめてのライブハウスとなったから、俺の中でのライブのイメージはこれがこびりついてしまった。両手で耳を塞ぎながら目の前で暴れているメンバーを一人ずつみる。後輩の姿はない。やっぱり終わっちまったのか?そこで、どこからともなく服の裾を掴む感覚に気づく。みればそこには首にタオルをかけた後輩がいた。何か言っているようだが、ステージからの音が邪魔をして聞き取れない。必死に聞こえないという身振り手振りをするが伝わったのかどうか。みかねた後輩がこっち、と指で入口の方を指した。先を歩く後輩の後をついていく俺。去り際にもう一度ライブハウスの中をぐるりと見たが、ステージにいるメンバーを除いて客席には十人にも満たない客が座り込んでいた。
「もー、俺の出番終わっちゃいましたよ!」
外に出ると後輩がそういった。やっぱりか。ごめん。後で牛丼奢ろう。
「いや、なんか寝坊しちゃって」
「せっかく俺のかっこいいところ見せようと思ったのに」
ふくれっ面の後輩の横に灰皿を見つけて、ポケットから煙草を取り出す。いつものじゃない、赤いパッケージ。そういえば自分の持ってくるの忘れた。まあいいや、と一本取り出し火をつける。音が全く聞こえないわけではないので少し不快ではあったが、気にしないことにした。
「あそこにいた客、いつもあんなもんなのか?」
「ん?」
「いや、なんかもっと多いのを想像してたから」
一瞬キョトンとした顔をした後輩がその直後噴き出すように笑った。
「ああ、あれ全部今日の共演者です」
「え」
「今日の客は、実質一人だけです」
そういって俺の方を指差す。同じように俺も自分のことを指差してから、煙草を口から離して大きく息を吐いた。白い息と煙が混じって、夜に傾きそうな空に消えていく。
「いつもあんなもんですよ、トリのバンドに数人客が入ればいいもんです」
そんなもんなのか、と言いかけて無意識で煙草を咥えてしまったから言葉を発することはなかった。かわりにふーん、と口を閉じたままいう。
「毎回赤字ですよ!だから俺いつも金欠で。でも見てくれるのが嬉しくて、たまに知人にタダでチケット渡したりしてるんですけどね」
受付で渡したあの手書きのチケット。そういうことだったのか。後輩のいうそのたまに、に今回は俺が該当したわけだ。
「でもほとんどきてくんないんですよ。学校の友達とかも。だから今日来てくれたのほんと嬉しくて!」
目を輝かせてこっちをみる後輩の顔を手で遮る。その目はあんまり得意じゃない。間に合わなかったけど、と不満を漏らす後輩の前に腕を伸ばすようにして灰皿に大きくなった灰を落とす。煙がとんがっている。やっぱりどうやってもこの煙草は好きになれない。
「誰も見てないのに、なんでお前歌ってんの」
それは単純な疑問だった。客もいない、唯一見てくれる共演者も床に座り込んで携帯を触っていた。多分こいつはまだトリを務めることもほぼないんだろう。なのに、なんで歌ってんだ。早くそこが居場所じゃないと、気づけばいいのに。俺と重ねるのはさすがに申し訳なかったが、似たようなものを感じていた。連勤は俺ほど多くはないがよく同じ時間にシフトに入って、夜から朝の時給が高い時間に、真人間とは正反対の時間に働いていて、それで得た金でライブしても、誰も見てくれない。それに意味はあるのだろうか。
少し考えて後輩がいった。
「まあ、見てくれるのが一番嬉しいんですけど」
後輩は大きくなった白い月を眺めながら、次の言葉を探しているようだった。
「俺のために歌ってくれた歌なんて、この世にはないんですよ。誰もが思うようなことを適当に詩にして歌ってるやつばっかで。誰も俺のことなんて見ないし、俺のために作られた歌なんてない。だから、俺が俺を見てやらなきゃって思ったんですよね。俺がちゃんと俺のこと見て感じたことを、詩にするんです。だから、俺の歌は俺自身なんですよ。それ振りかざして、俺ってこんなだよ、こんな人間だよ、見てくれーって、叫んでるようなもんです。俺にしか、俺のための曲なんて作れない」
寒くなったのか後輩はずるずるになった袖を伸ばして、口元にあてていた。言葉とともに吐き出される白い息は、次々と消えていく。それをみて、なんか俺まで寒くなってしまった。
「赤ちゃんかよ!って感じですよね、まあでも死ぬまでくらい、俺のことだけ考えててもいいのかなーって思って」
後輩の方を見ると鼻の頭がすっかり赤くなっていて、一本ください、と煙草を催促する声は無視しておいた。
そういえば少し前に聞いたことがあった。後輩の家族のこと、一人暮らしのこと、自分で払っている授業料のこと。なんで今思い出したんだって話だけど。
「あのさあ、俺帰るわ」
「えっ!さっき来たばっかなのに」
「なんか別にお前以外の聞いてもしょうがないしな」
灰皿に半分ほど残った煙草を押し付ける。まだ若干火がついているような気がしたけど、まあそのうち消えるだろう。なんたって今日は風が強い。
「なあ、今度俺の休みとお前のライブがかぶったら見に行ってもいいか?」
「大歓迎です!!」
すでに歩き出していた俺の背後で一際大きな声がした。振り返ることはなく俺は駅まで歩いて、それから電車に乗ろうと改札の前まで来て、改札を通るのをやめた。一駅くらい、歩いて帰れる。パーカーじゃやっぱり寒いし、寝るとき毛布をかぶってなかったせいかなんだか寒気がする。風邪をひいても明日もバイト。とにかく家へ帰ろう。電気は相変わらず付けっ放しの明るい部屋へ。途中近所のコンビニで新しい自分の煙草を買って、赤いパッケージの方はコンビニのゴミで溢れたゴミ箱に捨てた。多分もう買うことはない。あったかい出汁につかったおでんの中から大根をひとつ出してもらったのを、家に着いてから食べた。腹は満たされなかったけど、なんだか満腹なような気がした。


#小説