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低所得アルバイターとチョコレート、小説家を目指すことはなく

チョコレートを一粒口に放り込む。ダイエットだなんだと毎日のようにいっていてもチョコレートだけは無意識に食べてしまう。大袋のチョコレートの外装に一粒あたりのカロリーなど書いていないのだから、実質0カロリーである。机の上のチョコレートのつつみはよっつになっていた。一粒が0カロリーなのだから、よっつ食べても0カロリーに違いない。

夏のあついあつい日にエアコンの設定を最低温度にして薄い毛布にくるまるような、こたつに入ってつめたいアイスを食べるような、そういう毎日を送っていた。矛盾しているようで、自分の中では矛盾などしていないのだ。夏にアイスなど、甘ったるくて食べられやしない。アイスは冬にこそ食べるものである。変えたいと思う気持ちも多少はあるかもしれない。夏の夕方にあついあついといいながら食べるアイスはおいしそうとは思う。でもたぶん、無理に変えることはないのだろう、いまのところは。昼夜逆転の生活を変えたいと思っているのに、夜は寝ればいいのに、暗くなってから起きて、そこから用もないのに車に乗り込んで明るい看板を目指すように。

小説を書いていた。毎日のように小説を書いていた。誰の目にも止まらないのに。ネットに小説を載せたり、たまにアルバイトの給料からぎりぎり捻出してイベントに参加して小説本を売ったりしている。アルバイトをして、帰ればチョコレートをつまみながら小説をかいて、そんな生活をしている。
小説が特別好きなわけではなかった。小さな頃から休み時間に本を読むこともなければ、図書室などほとんど足を運んだこともなかった。毎年出される読書感想文の宿題も、いつも冬になる前に参加賞のボールペンをもらうくらいのものだった。毎回もらえるボールペンは、年によって色が違っていたり、フォルムが多少違っていた。そんなとき、代理できていた先生が自分の文章をやたら気に入ってくれて、賞に出さないかとすすめられた。文章など、知っている言葉の羅列だとしか思っていなかった。それでも調子にのって、賞に出すように文章を新しく書いた。別に自分の文章など特に好きでも嫌いでもなかった。個性とか、そういうものは見つけることはできなかった。どうせ書いても、参加賞だろうとばかり思っていた。結局出した文章は佳作という結果になった。終業式で呼ばれるほどの賞ではなかったが、もらったのはボールペンではなかった。あれから、自分はちまちまと言葉を組み合わせて小説を書いている。数年経ってから、ネットにも載せるようになった。代理の先生のことは顔も名前も忘れてしまったが、今でもその先生のことをありがたいとか思ってはいないが、まあたぶんいつから書いているかと言われればこのことがきっかけなのだろうとは思う。

所謂フリーターをしている。アルバイトをしながらその給料で生活をしている。アルバイトに役職などない。自分の代わりなどいくらでもいるし、もしかしたら自分が誰かの代わりなのかもしらない。そんなことはどうでもよかった。毎日同じ時間に出勤して、ドアが開けばいらっしゃいませといい、客がレジを通り抜ければありがとうございましたという。代わり映えのない日々。やる気も上昇志向もなかったが、時給があがる祝日や年末年始はすすんでシフトをいれてくださいと店長にはいってある。普段忙しいと少しイライラするが、時給があがるなら話が違う。いつもの愛想笑いも少しだけ明るくなるというものだ。
アルバイトをしているときは頭を使わなくていいので、新しい小説のことを考えたり、毎日煙草を一箱だけ買っていくおじさんの見えないところの生活を妄想したりしている。楽しかった。給料は生活費でぜんぶもっていかれるような毎日だったが、悪くはなかった。いいとも言い切れないが、まあ悪くはないので特別変えようと思うこともなかった。

自分に才能があるとは思ってなかった。いくつ小説を書いてもレビューもつかなければ小説を見ている人数も数えるくらいだ。今の小説サイトというのは便利なもので、何日で何人が訪問したか、いいねの数、ランキング、ジャンルごとの人気作、なんでもわかってしまう。訪問者数などグラフにしてわかりやすく教えてくれるのだ。サイトに登録して小説を載せれば、自分が人気ないことくらいわかっていたし、たまにでるイベントでも黒字になったことなどない。でも別に小説家になりたいわけではなかった。印税で暮らしたいだとか、書店に自分の本が並んでほしいとか、そういう野望は特にない。負け犬の遠吠えと言われるかもしれないが、自分は佳作をとったあの時から好きなことを好きなだけ書いているだけで、それを褒めてほしいわけではなかった。佳作をとったことは嬉しかった。でも自分があれから書いているのは、別に賞をもらったからではない。
来月もイベントがある。いつものように小部数印刷ができる印刷所を探して20部くらい薄い小説本をだす。配置される場所もいつもはしっこでもなく後ろに壁があるわけでもない入りにくい場所だった。イベントだというのに誰かと話すことはなく、隣の人にすみませんだとかよろしくお願いしますだとか業務的なことしか挨拶しない。見本誌をつくったってたまにのぞかれてはさっと返されるだけだった。半分も売れずにイベントは終わり、焼肉ではなくファミレスで安いハンバーグを食べる。いつも食べる安いハンバーグの味がした。

チョコレートを口に放り込みながら、目の前にあるローンで買ったパソコンにかじりつく。食べたチョコレートの数と進捗が比例しない。机の上には中身のないチョコレートのつつみが積んである。気づけば大袋のチョコレートは空になっていた。100グラムごとのカロリーは見てみぬふりして、伸びをしながら買い物にでもいくかと立ち上がる。スーパーでも、まわりの客を観察しながら見えない生活を考えたり今書いている小説のことを考えたりするだろう。よくはなくても、悪くはないのだ。特別この生活を変えたりするつもりはない。今のところは。生活も小説も、評価されるほどのものではない。でも自分にとっては悪くはないのだ。小さくて見えづらい、こんなものでも。

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