自由に歌えたらどんなにか
自由に歌えたらどんなにいいことだろう。ふと、思う。できないことを羨ましく思うことは他にもいくつかある。楽器を操れたら。踊れたら。できないことの方が多い中で、羨ましいと思うことはいくつでも思い浮かぶ。そんな中でも、歌うことへの希求はひときわ大きい。
例えば、歌いだしたいほどの感動をきちんと歌として出力できるなら、幸せだろうなと思う。どんなにいい音楽でもきちんと音の出るスピーカーや演奏者がいないと成り立たないように、私の感動もなにかの手段で出力しないと完璧には成り立たないのだ。出力されたものは、誰かが受け取ってもいいし、また自分でしまいこんでもいい。出力の手段として、歌は素敵だと思う。
私は、魔女の宅急便で飛べなくなったキキのように、スランプのようなもので歌えないのではなくて自由に歌うことを知らないから、その憧れがなおさらに大きいのかもしれない。歌を歌うことを生業としている人たちが、感動とか絶望とかそんなのをそのまま歌にのせているかは、よく知らない。だけど、そうだったらいいなと思う。
自分の歌や歌声を評価にさらしたのは、音楽の授業でだけだ。だから、どこがどうというのは分からない。けれども「自由に」というのとは程遠いと思っている。なんだか音がゆらゆら揺れてしまうし、ちっとも大きな声が出ないし、こんなのでは全く「自由に」ではないのだ。
ああ、自由に歌えたらどんなにか幸せだろうと思いながら、でも、だから、文章を書くのかもしれない。