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何かを始めたい時、タグを検索してほしい

先のnoteでは『「はじめる」の難しさ』について書いてみたが、今回は、「はじめる」ということのハードルは下がっているんじゃないか?と思ったことについて書いてみる。

私はいわばオタクである。沼という沼を渡り歩き、落ち着くところに落ち着いている。
オタクというのは、大体が集まって感情の共有をしたいものである。そういう時に便利なのが、『#つながりたい』というタグ。〇〇好きさんと繋がりたい、と任意のSNSで検索してみれば、大体ヒットする。それも割と結構な数が。そうしてSNSでいい感じに仲間とつながり、効率よく推しの話をすることができる。SNSの利点はまさしく『つながりやすい』ところである。オタク生活が長いが故のライフハックだ。現実世界でオタクと巡り会うことが簡単なら、私はこんな引っ込み思案になどなっていない。私はこうして新たなジャンルでも同志を見つけたりしていた。

これが、別にオタクだけの特権でないと気付いたのは最近のことだ。
私は最近、『短歌』というものがとても気になっている。それも、岡本真帆さんという方の短歌を読んでからだ。

https://twitter.com/mhpokmt/status/993451550000406528?s=21

スマホからの更新なので文字だけになってしまっているようだが、よろしければ彼女の短歌を読んで欲しい。彼女の短歌はとてもいきいきしていて、透き通っている。そして(これは褒め言葉として通用するのかどうか分からないが)とても自由だ。5・7・5・7・7の制約を感じさせないほどに。初めて読んだのは有名な『ほんとうにあたしでいいの?』から始まる短歌で、私はそれを読んだ時、「短歌ってこんなに自由でいいんだ!?」と思ったのをよく覚えている。

そういったきっかけもあり、短歌が一層身近なものに感じられ、元々言葉が好きだったというのもあり「短歌、やってみたい!」と思うのはすぐだった。

しかしこういったものの難しいところは、前にも述べたように「どうせならそれっぽいものをつくりたい」という虚栄心が拭えないところと、見てもらえる場所がないというところだ。これは私の持論だが、承認欲求と言われてしまえばまあそれまでかもしれないが、人の才能というものは他者に認められ、求められてより一層成長するのだと考えている。周りと比べずに自分の中に溜め込むだけでは足元がお留守になって自惚れてしまうし、どうせならば意見がもらえる場所が欲しい。そういう気持ちがあって、彼女の短歌のツイートのあとにつく『#tanka』というタグを検索してみた。

あった。見てもらえる場所が。

タグ付けしておけば、タグを見てくれた人が好きに見て好きにいいねをつけてくれたりするし、なんならそのタグに講評会を毎日しているらしきサイトも発見した。これをオタクゆえの探究心と言われてしまえば反論はできないが、オタクがゆえにコミュニティを難なく発見することができた。SNSは広い世界をミニマムに拡大する虫眼鏡のような存在だった。

こんなふうに、SNSやインターネットが発達した現代では私のように集まってみようとする人は少なくないらしい。私はまだ短歌を作ることはできていないが、作るとしたらそういう場所でやってみればいいんだな、ということは発見した。これだけでもだいぶ挑戦へのハードルが下がる。

それもそうだし、何かに挑戦する人が近くにいるというのは本当に恵まれていることだ。お互いを磨き合い、ひととして成長することができる。憧れ、妬み、尊敬。突き動かされるようなそういう感覚は、飛び込んでみなければ得難いものだ。

何かに挑戦してみたいが全く情報を見つけることができないままこの記事に辿り着いたそこのあなた、もし手詰まりになったら一度SNSでハッシュタグをつけて検索してみるといいかもしれない。有益な情報がすぐ手に入るかどうかはわからないが、何かに挑戦するやる気があるのなら、ちょっと試してみてもいいのではないだろうか。きっといい方向へ進むことを私は願っている。

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