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もしその選択が違ったと感じるならば
過去にした選択が必ず今も間違いがないということはありうるのでしょうか。
小さい頃から野球選手になりたくて、努力して野球選手になった人も、年齢を重ねればまた違う職業に就く場合もありうる。お店を始めたり、スポーツトレーナーになったり、解説者になったりタレントになったり。
そんな風にキャリアがなんとなく決まっていない職業でも、別の職業や役割に変わっていいと思いませんか?
会社員は会社員のままでしか居れないとか、母親になったら年齢を重ねるまでは働けないとか、本当にそうなんでしょうか。
私たちは、特に自分以外の誰かを守りたいと思ったり、責任が伴う場合はどうしても自己犠牲をしがちです。
しかしそこにあるのは、思いやりや優しさとはちょっと違う「自己犠牲」という名の安心感なのかもしれません。自分が矢面に立たないことで、誰かを守っている自分はその場所に存在するに足る人だという安心感。
そういった安心感を抱えている人は、側から見たらとても優しく見えるけれど、もし当人が我慢していたということを知ったら相手はどう思うでしょうか?「あなたのために我慢していたのに…」と言われたら申し訳ないし、どうしてそこまでさせてしまったのかと思い悩むと思います。
そして、コミュニケーションがうまく行かない場合は、「どうしてその時に本音を言わなかったの?」と口論になる場合もあると思います。
だからこそ、やっぱり自分の思いに素直に生きるということがどんな立場でも大事なことなのだと思います。
自己犠牲は自分も相手も幸せにしない。
もし、その選択肢が過去はいいと思っていたものでも、今は違うというものだったら、思い切って周りに表明してみましょう。
きっと自分が思っているより、周りは優しく受け入れてくれるはずです。
自分にもまわりにも素直に生きれている時、
人は一番幸福を感じるのかもしれませんね。
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