視座を上げてみたい
おはようございます。7月に入ってから、カフェに入り浸りの朝です。
まず予定を見て、やることの順番を決める。そしてYouTubeを開いて、心理・哲学系の話をノートにまとめながら考えてみる。そのあと、なんとなく自分に湧いてきたテーマをnoteに書くという流れになっています。
noteを書く目的はなんだったっけ?と思い返すと、Kindle出版したいとか言ってたんだった〜と最近気づいたんですが(忘れてた笑)、それくらい自分の思考を言葉にする作業が習慣になっています。
楽しいとかそういうんじゃなくて、なんかやらないと気持ち悪いっていう感じです(自分の習慣化の強制力が強すぎてある意味怖いくらいです笑)。
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さて、今日は「視座が高い」ということについて考えてみたいと思います。
私自身、結構「意識高いね」とか「真面目だね」って言われることが多いんですけど、よく一緒に話している人だと私の適当さとかも多分知ってくれていると思うんですね。だから自己認識だと「いや、私全然そんなんじゃないし…」と言いたくなってしまいます。
一見して同じように思えますが、「意識が高い」「真面目」と「視座が高い」っていうのは同じようで異なるなあと思います。
「意識が高い」「真面目」っていうのは、「自分のマイルールが強い」とか「強迫観念に追われている」という感じも若干含んでいるというニュアンスを感じるんですけど、いかがでしょうか?笑
だからこれ、実は受け取る側としてはあんまり言われて嬉しくないんですよ。「あ、これ軽く非難されてるのかな〜」と感じてしまうので。笑
でも私は「視座が高いね」と言われたらめちゃくちゃ嬉しいんです。
なぜなら、私は「視座が高い」という言葉に、「自己成長やまわりの仲間や社会にとって良い影響を与えようとしている」というニュアンスを感じるからです。
これに気づいてから、「ああ、私成長したいんだな」という自分の思いにも気づきました。成長なんて…ってずっと塞いでいた時期もあったから、改めて今の自分は成長をして人生でいろんな景色を見たいんだという純粋な自分の気持ちにも気づいたんですよね。
言葉ひとつで自分の見え方も変わるから不思議ですね。
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