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幸せになろうね(いつか、どこかで、何らかの形で)

学校の日本史の先生のTwitterが割れてて、その人が「若者は文化祭の終わったあとの、夜の帰り道の心に沁みて来るような秋の涼風の切なさをよく嚙み締めろ」みたいなツイートを2年前くらいにしてて、当時はなんで生徒に見られてるって分かりながら普通にツイートできるんだろうくらいにしか思ってなかったんだけど、後になって読み返してみると割と心に来るものがある。教師だからこそその時期の尊さみたいなものや、それは大人になってからは思い返すことしか出来ないこととかを分かってるんだろうと思った。



(日記)
目の前に「riendly for all」が現れて、僕は英語が苦手だからfの先っぽが他の文字に屋根みたいに覆いかぶさってることにしばらく経ってから気づいた。friendly for all。みんなに優しいことを示すステッカーのついた観光バスが、横断歩道の手前で止まっている。今は2週間後の文化祭の準備を切り上げてから塾に向かっている途中で、本当はもうちょっと早く抜けることも出来たけど、塾になるべく居たくないから適当に誤魔化して連絡した。最近は嘘ばかりついている。周りが皆バスみたいに嘘ばかりつくから。嘘を嘘だと向こうに悟らせないように、気をつけて喋る。自分のどこかを1つずつ切断しながら、楽しい人とも悲しい人とも喋る。楽しい人が好きで、悲しい人が嫌いだとは限らない。悲しい人と喋ると、真っ直ぐ本当のことを言える気がする。でも相手は悲しい人だから、僕は楽しいのにそれすら悲しいと思うと思って、こっちまで悲しくなる。塾の教室に向かう為に階段を上る。踊り場を経由するごとに耳の奥のノイズが大きくなっていく。友達が、耳鳴りがするから聴力検査で毎回引っかかると言っていた。そのことを初めて知ったとき、なぜか怖い、と思った




\   /ココカラダシテー



(日記 つづき)
最近は優しい曲を聴いている。Vaundyとか、藤井風とか、星野源とか。音楽は移動中に聴くことが多い。家まで帰る道を歩きながら、うっすら雲がある夜空を見上げて、本当にこんなんでいいのかな、とか思ってみる。 カレンダーは9月だけど、秋の涼風はまだ感じられない。耳元では「魔法がないと不便だよな」と星野源が歌い、「これからまた色んな愛を受けとってあなたに返すだろう」と藤井風が歌い、「未来の地図は無地でいいよ」とVaundyが歌う。嘘じゃないといいと思うし、嘘なはずがないとも思う。早く、誰かに全部のことを話したい、全部全部、くさいポエムも好きな映画も音楽も、頑張ってきたことも頑張ってることも頑張りたいことも、ぜんぶを話したい、それから全部を聞くことになる、終わりのない君の話は、みんなに優しい、かもしれないし、誰かを傷つける、かもしれないけど僕はそれでも君の話を、みんなに優しい、と言うことができる、それすら悲しいと思うのかな、君は


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