代替可能な亡骸に愛を込めて

-: 泉こなたの亡骸に愛を込めて (ninatokaniwarosu.blogspot.com)

↑良い文章です、ぜひ読んでみてください

 僕はもはや泉こなたという名を愛していたと宣言することしか出来ない。自分の心情に誠実になるのであれば、それ以上のことは決して出来ないのだ。なんせ、らき☆すたは灰となって散り散りになってしまったし、人々はその灰を上手に完成した世界に昇華してしまったのだから。もはや僕の中には『らき☆すた』という名前しか残っていないのだ。(中略)
 そしてこれを書いている僕は、泉こなたと僕の関係を単なる悲劇的な物語として昇華させてしまおうとしていることに大きな恐怖を覚えている。決してそんなつもりは無いと言い張りたいところではあるが、事実としてそれは悲劇だ。手のつけようがないほどの悲劇なのだ。泉こなたが現在に為す術がないように、僕だって泉こなたの為に成し得ることは一切ないのだ。泉こなたの亡骸を前にして、友情と敬意を払うことしかできず、何も彼女の為にしてやることはできないのだ。——だからこそ僕は泉こなたの亡骸を泣き喚くことなく眺めている。僕は決して君と再び逢えることを願いはしないし、僕の中から忘れ去られてしまうことを願うことだって無い。死骸を眺めるのだ。ただ、腐敗するその亡骸に愛と追悼を込めて。

泉こなたの亡骸に愛を込めて


 好きがあれば嫌いがあって、暑いがあれば寒いがあって、楽しいがあれば悲しいがあるように、始まりがあれば終わりがあるらしい。今のところ僕は親しい人との間で死別やそうでない今生の別れを経験したことはないけれど、それでももう一生会わない人には既に出会っていて、そう考えると気が付かないうちに始まっていて気が付かないうちに終わっているなんてバカらしいな、と思う。僕は全部忘れたくない。忘れたくないから今この文章を書いているのか、それとも僕の思いとは裏腹に本当は忘れようとしているからなのかは分からないし正直どっちでもいいけど、どちらにせよ僕は今自分の足で立つということがとても難しくて、時間が経って記憶にもやがかかるであろうこれからのことを、僕は新鮮に悲しむことができる。


 ここでは今僕が言及したい人がいる。いるけどそんなにちゃんと言及しない。するとしてもフワッとしたのに留める。なんかそっちの方がカッコイイ気がするし、そもそもそんなの僕自身書いた瞬間から気に入らなくなるだろうし、本当のことではなくなってしまうからだ。それに、大好きな人のことを語るときに後から読み返す度に同じ感情になるエピソードばっか記録してたら、その人のことなんてきっとすぐ忘れちゃうと思う。さっきも言ったように僕は別れエアプだけど、こういうときに大事なのは自分の中にどれだけ相手の成分を残しておけるかだと思ってる。上手く行ってくれよ頼むから~





涙をこらえるのってクソ簡単で、なんでもいいから音楽を聴いてTwitter見て上向いて目にグって力入れて…って、全然泣けてくる。喉の奥の方が詰まって痛くなって、あ俺やっぱ泣かないように我慢してんだ、って初めて認識する。脳内に色んな言葉が溢れてくるのが分かる。「俺もっと頑張るからさ」、「あれ、貰ったよく分かんない外国のお菓子まだ食べてないんだけど大丈夫かな?なんか周りの反応見てもマズそうでしかないんだけど。こういう時マズいお菓子貰うって展開あるかな?その…青春の1ページとしてさ」、「で結局メガネ辞めたって言いつつ全然メガネの日あったしあれからコンタクトの日もあったしたけどどうなったの?」、「授業中なのに下ネタどぎつかった」、「俺は別に怒られたことないから良いけど怒り方怖すぎない?命の危険感じたんだけど防犯ブザーあったら鳴らしてたよ(R-1見てないです)」、「やっぱ寂しいかも」、「ば、ばーか/////」


対人関係において分からないことが最近多すぎる。今喋ってるこいつに俺はどんな感情を抱いてるんだ???がち。もちろん好きではあるんだろうけど。でも例えば今話題に出してるこいつは時々マジで笑えないレベルの差別発言とかしたりする奴なので、人間的に尊敬してるかといったらそんなこともない。むしろあんな人間になっちゃいけないとも思う。でもなんていうかちゃんと人間臭いところも感じるっていうか、テストの問題作んなきゃいけなくてカフェに缶詰めになってたけど全然出来なくて泣いてた、って言ってたことあるし、テストの時とかお腹痛くなりがち(けど成績良かった、っていうウザい論理展開)らしかったし、そうだよねみんな頑張ってるんだよね……って、俺はまた人のことをエピソードでしか認識できていない。細部まで覚えていよう覚えていようとするほど頭の中からもう思いだせないものが滑り落ちていく感覚がある。小学生のときも塾の国語の先生を似たような感じで好きになって、授業中散々面白い話をしてくれてわざわざそれをメモまでしてたのに今ではその全部をほとんど覚えていない。覚えているのは第一志望校落ちてました、って報告しに行って握手してくれたときのあの手汗の気持ち悪い感じと、6年後絶対夢叶えろよ、っていう笑っちゃうくらい真面目な顔で言ってた言葉だけで、まあそれはそれで充分なのかもしれないけどでもやっぱり寂しい。初めてこのアカウントで(!!!!)DMをくれた人とも、こっちが勝手に盛り上がって色々喋りすぎただけかもしんないけど、やりとりするようになってから何の前触れもなく垢が消えるまでの2週間弱で結構話したはずなのに、それが何についてだったのか1ミリも覚えていないし、今DMの欄を見てみても仕様上相手のメッセージだけが消えていて、ただ”何か”と会話っぽいことをしていた俺の痕跡だけいつまでも残っている。(もしこれ見てたらまたTwitterでDMくださいね、誰でも送れるようにしてるんで)

人間を細かくパターン化していって判断するのは俺の嫌いな教師がよく生徒にやってることだから嫌いだけど、それでも目の前の人と話していると、もう多分二度とどんな形でも会えない、話せない人のことを思い出してしまう。考えたくもないけどそいつとそいつは多分似ていて、自分と関わる以上そういうパターンの人間はこういう別れ方になるしか道はないんじゃないかって思えてくる。そんなことないよ、って頭ごなしに否定するには人生経験も年齢も足りないと思う。でも否定しておかないとこれを読んでる皆さんに失礼だから、ここはきちんと否定しておく。そんなことはない。パターンも、ない。俺は皆、本当に皆のことを覚えておきたいと思っているし、覚えようと思って覚えられるものではないと思うけど、覚えようと思わないと覚えられないものだと思う。


月が見える。ちょっと欠けてて絶妙に満月じゃない月を見る。iPhoneで撮ったらブレて歪んで満月みたいになった。今生の別れになるかもしれないこんな夜も悪くはないと思えると、思えたらいいな、って、思う



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