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マナスル登頂隊の防寒具

戦後、進駐軍によって凍結された機械の使用も解除され、日本が工業国へと舵を切った1950年代。
日本政府は住宅金融公庫設立、公営住宅法制定、住宅公団設立と、大きく住宅政策を打ち出しました。これらの政策に合わせるように、日本ベッドは国内のベッド市場を切り拓いていきました。

事業を発展させ、1954年には大田区池上(旧町名「堤方町」)に二階建ての本社社屋事務所を新築した日本ベッドは、寝具の他、製綿、羽毛と各種商材を扱っていたようです。

当時のカタログ表紙
写真は裏に工場が併設されていた大田区池上(堤方町)の本社屋

カタログ中面など、詳しくはこちらでご案内しています。
宜しければどうぞご覧ください。

面白いのは、羽毛を扱っていたことから「南極越冬隊の防寒具や寝袋」として採用されたことでしょうか。
日本ベッドの羽毛製品は、素材や縫製の質の良さが認められ、1950年代から60年頭に掛けて、南極越冬隊や、マナスル登頂隊隊員に、防寒具として着用されました。

マナスル登頂隊着用の防寒具

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