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ウエダアオイさんの「しんじゅく」について語りたい

今朝、Twitterで紹介された大森靖子さんの動画を観まして

知識の狭い僕は紹介されて今年になってから大森靖子さんを知ったのですが、なんというか、こう…感情表現の爆発を感じますね。ファッションも含めて独特の弾き語りスタイルで表現されています。新宿という曲を聴いて、「この街を歩く才能が無かったから」という一節に触れて、ウエダアオイさんの「しんじゅく」について語りたくなりました。

2020年の「20」以降はまだ音源化リリースされていませんが、何曲もリリックビデオ形式で新曲が発表されていますし、弾き語り動画でならもっとたくさん曲が出ていますので、次のアルバムが楽しみです。このしんじゅくも、映像も雰囲気だけのイメージ絵じゃなくて曲との相乗効果が高くて、観ながら聴くとトリップし易くて良いですね!
※概要欄に歌詞が有りますので転載引用は控えます。

概要欄によると上京を考えていた時に作られた曲のようです。
「大阪のシンガーソングライター、ウエダアオイと申します〜」とよく名乗られているので大阪在住の印象が強いですが、年に何回か東京にも遠征されています(2023年12月も2公演有りますよ!)。

最近はメディアや交通も発達して、上京せずに各地で活躍されているメジャーな方々も多いですが、やっぱり東京在住は一旗揚げる、大きくなるという攻めの姿勢なんでしょうね。関西の田舎育ちで進学就職後も瀬戸内周りをグルグルして生きている僕には遠い世界ですが、上京という物に対する高揚感や不安感は解ります。

概要欄も見ずに聴いていた時の最初の印象で、受験で北関東の大学を前期で受けた時のことを思い出しました。30倍ぐらいだったのに受かる気満々だったんですけど、そこは落ちて後期で四国に往きました。不合格通知が来るまでは、遊佐さんのコンサートに行くとしたら東京までどう行くのか調べたりしてましたね…。その後の進学も留年とかさらに進学とか就職しても存外にブラック生活だったり色々の人生ですが、まだ死ぬまでは人間万事塞翁が馬なのでなんとも言えません。

話は戻って、きらびやかな上京に対しての歌にしてはネガティブ全開です。都会中の大都会、新宿に対する不安感がここまで強いと、上京に踏み切れないですよね…とも思ってしまいます。何しろ伝言板にXYZと書き込むと殺しの依頼が出来る街ですからね。しかし時代背景を考えるとコロナ禍真っ盛り、上京しても精力的にライブ活動出来なかったから取り止めだったのかも知れません。
そしてライブ配信動画で「明るい歌は嫌いで、何も解決しない現状維持ぐらいの歌を作って行きます。嬉しい楽しい気持ちは曲にする気がしないので。」というお言葉がありました。いや、これは一生推せると思いましたね!明るい曲、穏やかな曲も聴きますけど、ザックリ深く刺さる曲って暗くてヤバイ部分を含んでますから(個人の見解です)、凄くよく解ります。わかり味が深すぎてマリアナ海溝です。
話は逸れますが、ウエダアオイさんの特徴的なギターについて、ヘッドの形状からガットギターかと思っていたら、エレアコ鉄弦ギターでした。ヤイリのカスタム(K.yairiのセミオーダー?)だそうです。低音の倍音の響きが尋常じゃないし、スライドの音も太いのでガットギターの音も良いなぁと勝手に思ってました。

話は戻ってウエダアオイさんの2022年5月発表の「しんじゅく」について見ていきます。タイトルのしんじゅくが平仮名なのは、歌詞の中で「ここに降り立って声を張り上げたい しんじゅくの文字が見えた」から、JRの駅の表示を見たときのストレートな感情を映したものです。
歌詞の内容を見ていきますが、ウエダアオイさんの曲は自分そのものの曲と、フィクション創作の物語とになり、今回はストレートな自分語りだと思います。
歌い出しが緑の線から始まり、東京には数年に一回ぐらいしか仕事で行く事が無いので何かの比喩か実際に道路に緑の線が引いてあるのかと考えましたけど、山手線の色ということで良いんですよね?メイド喫茶の風景から新宿駅に来て、真っ赤な林檎を思い出すのは歌舞伎町の女王椎名林檎さんを思い出すって事だと思います。
甘い金平糖は歌を通してのキーになる単語で、上京した将来への甘い誘いみたいな事でしょうけど、後には棘が刺さって血の味になるという実際の金平糖より危険な誘惑から、吐き出せないので逃れられない状況が歌われています。事務所や業界関係者強い勧めとか有ったんでしょうか。それか、自分自身に対して上京して売れないといけないという強迫観念とか。
それに対してぐしゃぐしゃに汚れた伊達眼鏡をしている自分が表現されていて、純粋さも失って汚れた大人になるのが成長なのか、という事も合わせて自分を見つめ直したい境遇になっています。
新宿をかき分けて生きていく「才能に汚された君たち」を汚れた伊達眼鏡で見ている状況ですが、大森靖子さんの「新宿で生きていく才能」を想起します。「しんじゅく」の歌の中では才能を拠り所に新宿でかき分け生きていくうちにどんどん汚れて行く先達たちを見てしまい、別人のようになって生きていく意味が有るのか問われています。大森靖子さんの「新宿」では私には才能が無いから新宿に跳ね返された様子が見て取れます。そこは東京に居て活動されていた大森さんと、大阪で高校出てからバイトしながらシンガーソングライターとして活動していて拠点を移すかどうか、の立ち位置の差でもあります。
僕はウエダアオイさんも今年に入って聴き始めて最近深くのめり込み始めたばかりなので、2022年の大阪200人ワンマンライブがどれくらいの入りだったのか過去を心配してしまいますが…。200人って、この春から追ってるバンドのtoybeeが4月の下北沢SHELTERが150人、6月の新宿LOFTが300人でしたっけ?2022年はまだ行動制限下でしたし厳しかったのではないかと思います。今年の夏には憧れのカノエラナさんとのツーマンライブも有り、上京されて無くても順調な活躍と捉えても良いですよね。ツーマンライブの開催が大阪なので、カノエラナさんも関西在住なんでしようか。
たぶん売れても売れなくても、どれだけ売れてもウエダアオイさんの歌の中では葛藤が続きそうな気がします。これが事務所や世間から押し付けられた物なら心配で仕方無いですけど、独りで酔って配信で語られてたので安心です。
ぐしゃぐしゃの不安と葛藤を絞り出されている「しんじゅく」も、きっと東京でのライブで毎回でないにしても時々歌われていくのではないでしょうか。進路や行末に悩む時に気楽な励ましの歌よりも、ストレートに代弁してくれそうな歌をこれからも聴いていきたいです。

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