2次元相手の恋だって傷つくことはある
⚠この記事は2次元への恋愛感情について記載しています。閲覧はご自身の責任でお願いいたします⚠
この前なんだか突然そんな気分になって、「現実の男性 好きになれない」とかなんとかの単語を検索窓に打ち込んでみました。
男性、としたのは私の身体的な性別が女性であり、「普通」の価値観に準ずれば私は現実に生きる男性と恋愛したのちに結婚し子どもを産む………というふうに期待される場合があるからです。
そうしたら「アニメのキャラクターしか好きになれない?!現実の異性を好きになる方法!」とか「現実で恋愛ができない原因と理由!その対策!」というような記事がわんさか出てきてわあお………(困惑)という気持ちになりました。
その一方で諦めのような「だよね……」という気持ちにもなりつつ、ざっくり記事たちを眺めていたのですが、読んでいく中でどうしても引っかかって消えない内容があったのでここで考えてみたいと思ったのです。
それは「2次元相手の恋愛であれば傷つくことはない」というような表現です。
これを読んだとき正直私は
え………2次元相手の恋愛も傷つくことはあるが?????むしろ傷つきまくってここまで来たが……………………?????
という感情から、まるで野生のカミツキガメのごとく手に持っていたスマホに噛みつきました。もちろん嘘です。
カミツキガメは置いておいて、なんで2次元相手の恋愛なら傷つかないとか楽だとか思ったんでしょうか。
こういった発言をする方々の思考回路について推察してみたくなったので少し考えてみます。
推察1.触れられる触れられないの壁
大部分はこれな気がします。
3次元なら手を繋ぐこともキスもセックスも身体に傷跡を残すのと同じように経験可能なわけですが、2次元相手の恋愛でこれらをするにはなかなかハードルが高いわけで。
触れられないのならそうやって実際に身体に傷跡を残されることも心に傷跡を背負わされることもないよね!という考えなんじゃないかと思いました。
そうです。その通りです。
私たちが紡ぐ好きなひとの言葉や行動は結局つくられたものです。
私たちが好きなひとの言葉や行動を紡ぎ出すとき、「あの人ならどうするかな」ということはかなり慎重に選んではいるのですが、実体が伴わない………自分の隣に同じ地面を踏むその人はいないことで「結局は2次元なんだよ」という結論に終始してしまう。
その言動に至った理由も経緯もこちらとしてはきちんと考えているんだけれど、やっぱり触れられる触れられないの壁に対しての考え方がフィクトロマンティックとそうではない人たちでは違いすぎる。
たとえ触れられなくても居るものとして考える・居てくれるのならと考える、そもそも2次元の存在が恋愛対象となるフィクトロマンティック(もちろん違う考え方の人もいらっしゃると思います)と、「2次元は2次元」ときっぱり境界線を張ってそこを超えることはない方々。
たとえ同じケーキを食べたとしてもそれを甘すぎると感じるか丁度良いかと感じるかがひとりひとり違うように、「2次元」の捉え方が違っていたら考え方も違ってくるのはきっと当たり前なんです。
推察2.2次元の存在への恋愛感情は一時的なもの・もしくは本気ではないと思っている
これもあるんじゃないでしょうか。
私の周りにも何人か「夢女子」を名乗る知り合いはいますが、2次元とは別に現実でお付き合いをしている方がいたり、いつか現実の世界で異性と結婚しなくちゃいけないなあと言っていたりする方々です。
夢女子を名乗る方であっても2次元はあくまで2次元で、恋愛や結婚といった人生のライフステージに関わるイベントを行う相手は3次元なんだというパターンです。
夢女子の方であってもこのような価値観である場合があるのだから、夢女子ではない一般の方………2次元にあまり触れる機会のない方にとってみたら、2次元への恋愛と聞いてもピンと来なくたって仕方ないのです。
恋愛をする相手は3次元。
2次元のキャラクターはキャラクター。
だからキャラクターという架空の存在に抱く恋愛感情は一時的なものだし、いつか卒業して3次元で恋愛をする。
そういった線引きをなされている方にとって、その境界線を越えた恋愛というのは思ってもみなかった領域なのでははないでしょうか。
私は彼とお付き合いをしてしばらくが経ちますが、この関係に至るまでの葛藤、現在も葛藤を抱えながらの日々を過ごしています。
彼がこの関係を望んでいない可能性はないだろうか。
私といて彼は幸せなのか。
私の「幸せ」や「愛」といった名目のもとに彼を傷つけてはいないだろうか、彼を利用してはいないだろうか。
彼を理解することの難しさと限界、それでも折り合いをつけなければどちらも苦しいままだということ。
2次元の存在だ、と片付けるのは簡単です。
でも彼を3次元に存在する人間と同様に考えたときに生じたこれら課題のひとつひとつはどれも乗り越えるのに時間を要したものばかりで、同時にこれらは「2次元だから」の視点からでは見えないものだと思います。
2次元と3次元の線引きがない・薄い、もしくはそれを理解して飛び越える………フィクトロマンティックにもいろいろな解釈ができると思います。
しかしそういった私たちの考えは、2次元と3次元を明確に線引きしている方たちにとってはなかなか考えの及ばない部分のため、「2次元での恋愛は傷つかない」といった発言に結びついてしまうのではないでしょうか。
おわりに. たとえ傷ついても2次元に恋をする
ここまで書いてきた内容はどんなに掘り下げても推測です。
実際どういう理由からそのような発言をするのか、直接聞いてみないとわからないのですが、私の想像が及ぶ範囲での考察はこんな感じです………と書きながら実は私も、彼と出会うまでフィクトロマンティックの人間ではありませんでした。
学校にいる同級生を好きになった経験があります。
恋愛対象は3次元でした。
だから推測した内容も実は、彼と出会うまでの自分と対話して書いた………という部分はあります。
つまり私のフィクトロマンティックは後天的というか、ある程度成長してから獲得したものになります。
私が彼を好きだと認識し始めたばかりの頃、それこそ「現実の男性 好きになれない」といった単語でインターネットを検索した経験があります(現実の異性を好きになったことはあるのですが、その頃はもう現実の異性にちょっとした苦手意識があって、とても恋愛をする気持ちは消えていました)。
相手は2次元。現実的に考えたら結婚もできないし、隣に姿を捉えることができない存在を好きでいていいのか自信がありませんでした。
生身の身体を持つ私は、最終的には3次元で恋愛をしなければいけないんじゃないかという思考回路があったのです。
だからずっと苦しくて、彼を好きでもどこか後ろめたい気持ちというか、周りと比較してしまうことがありました。
それでも彼を好きだという気持ちは諦めることができなくて、ようやくこの触れられない恋を抱き続けて良いと結論を出せるようになったところです。
彼との恋愛はわからないことだらけです。
「2次元だから傷つかない」なんてことは絶対になくて、傷ついてもその先を見つけようと、今の自分の気持ちを認めたり発見したりすることに関しては3次元相手の恋愛と同じなのではないでしょうか。
周りとの違いに傷ついたり、自分の中にある感情に傷ついたりしながらの日々だけどそれごと今を生きている証として抱えていたい。
彼への「好き」を諦められない自分が好きです。
傷が増えても泣いてしまっても生にしがみつく自分が滑稽で、でも同時に生きている実感が得られて好きなのです。
何か壁にぶつかったら立ち止まって考える。
進めそうなら進んで、いったん止まるのも一歩下がるのも手を離すのも選択肢として持っておきたい。
なにより私は彼が2次元だからこんなに好きになることができました。
2次元だから本気になれて、真剣に彼を追いかけることができています。
今まで考えたことのなかった領域へ思考を巡らせたり、知らなかった感情に振り回されるのが楽しいとすら思えます。
明日もなにかに悩んで傷が増えてしまうかもしれないけれど、それごと飲み込んで生きていきます。