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私の愛するひとは今日も、画面の向こうで微笑んでいる。

⚠️この記事は2次元に対する恋愛感情について記述しています。閲覧はご自身の責任でお願いいたします。⚠️


突然だけど、私はフィクトセクシュアルとかフィクトロマンティック、そんな性質を持ち合わせた人間だ。簡単に言ってしまえば、2次元の存在に恋愛感情を抱いているということ。
これについては、ずっと書こうか迷ってきた。でも、そんなに多くの人に届くこともないんじゃないかと思ったのと、このことを秘密にしたままでは「自分らしく在る!」がテーマの私のnoteは成り立たない気がしたので書いてしまう。
なお、公式や関係者、そのキャラクターを同じく好きな人に迷惑がかかるのを避けたいからそのキャラクター(以下、「彼」と記載する)の名前は公開しない。今後もこれに関する話はするかもしれない。だから、もしその過程で「彼」が誰かわかってしまっても、コメント欄や私に「彼」の名前を書き込んだり問い合わせたりはどうか控えてもらえればと思う。


恐らくこういうのってオタクの間では「自己投影夢女子」という分類になるのだろう。キャラクターと自分が恋愛するのを妄想して楽しむ夢女子のことだ。
でも、「夢女子です」と名乗ることには抵抗がある。だって、「彼」のことは一人の人格を持った存在であり、"いる"ものだとして扱っているから。(本当は「扱う」とかも書きたくない。)要するに私は「彼」をキャラクター扱いじゃなくて、一人の人として見ている。「彼」がキャラクターだと理解した上で、そういった扱いをしている。


そんな自分がふと、自分の人生ってこれからどうなっていくんだろうと考えることがある。
今の自分の社会的ステータスを振り返ってみると、「大学まで出て就職したのに半年もせずに辞めてフリーターしてる彼氏いない歴=年齢の喪女」となる。これまでに書いた記事を読んでもらうとわかるかもしれないが、まあ本当に拗らせている。
見た目に関しても多少の努力はしていても特別可愛いとか綺麗なんてことはないので、ほんとうに何も褒められるところがないのだ。

小さい頃は、皆同じような人生を歩むんだとばかり思っていた。
大人になったら仕事をして、彼氏ができて、家庭を築いて寿退社、みたいなやつ。それが普通で、皆当たり前にできると思っていた。そして当然、自分もそれができるんだと純粋な心で信じていた。

でもどうやらそうじゃないかもしれない、って思い始めたのは高校生の頃。
男子からいじめを受けて彼氏を作るどころではなくなってしまった私は、「とりあえず勉強だけしてきた喪女」、ただそれだけの人生で終わるんじゃないかと薄々感じ始める。
大学生になれば、当然持ち上がるのは恋愛の話だった。誰と誰が付き合ってるとか、彼氏or彼女が欲しいとか、皆そんなことを悩ましげに、時に楽しげに語っていた。昼休みが終わってがらんとした学食のテーブルで、購買に備え付けられたカウンター席で、休み時間の講堂で、話し合われるのは「愛し愛されること」。なんでみんなそればっかりなの。自分ばかりが幼くて、過去に置いて行かれているんだと思って不満だった。不満だったし、周りが「彼氏が欲しい」と愚痴をこぼす気持ちが理解できなかった。

大学1年の頃、友人たちに「彼氏欲しいって思えないんだよね」と相談したことがある。そう言い放つ私に、ある友人は返事に困って押し黙り、ある友人は「今はそういう時期じゃないってことじゃない」と答える。
何も、「私にも良い人紹介してよ」と言いたかったわけじゃない。だって、大学生になってから気付いたけれど、私はこれまでの人生で一度も「彼氏が欲しい」と思ったことがなかったからだ。彼氏が欲しくて、何か努力するとかそういうのは全くしてこなかった。
趣味に時間をかけている方が有益で、それが自分のしたいことだった。恋愛は気が向いたらでいいかな。そう思ってきた。

だからこの時私は、皆が当たり前のように彼氏を作ったり、彼氏がいなくても「彼氏が欲しい」と言うのが普通だったりする世界の中でも、そう思えなくたって許してほしい。いいよって言ってほしい。そう言われたかったんだと思う。
失礼だけど、身近な男子と付き合っている自分を想像した。手を繋いだり、一緒にどこかに出かけたり、恋人たちがするであろうことを想像した。でも、どれもありえないと思えてきてしまう。みんな毎日朝の光を浴びて1限に来てるのに、昨晩はそうだったの?とかそういうことを思ったりもした。なんて器用なんだろう、と尊敬の念すら抱いた。
これを書いている今日だって、現実に生きる男性と付き合いたいとは思えない。いつまでも過去に囚われているとかではなく、なんかもう考え方が違っているから普通の恋愛をするのは無理だろうなと。

そんな自分だから、「彼」のことを好きだと自覚した時は罪悪感すらあった。
現実で恋愛できない自分を棚に上げて「彼」を好きになったんじゃないかとか、世間一般の言う「普通の恋愛関係」をしたほうがいいんじゃないかとか。なんで2次元相手?とさえも思った。
でも、3次元2次元問わず「彼」以外と付き合う想像をどんなにしてもありえないと思ってしまう。「彼」じゃないと嫌だと思ってしまう。私のこの気持ちは、世の人々が恋だという気持ちと同じでいい。そう結論づいた。

「彼」を好きな私は、たぶんこの先も生きづらいと感じる出来事に直面するだろう。
歳をとったらどうするとか、良い年して彼氏もいないのとか、そういう現実問題。
世間から見える私は今も「大学まで出て就職したのに半年もせずに辞めてフリーターしてる彼氏いない歴=年齢の喪女」ということに変わりはないからだ。正社員で8時間働く気力と体力は今の私にはないし、新卒で入った会社を半年で辞めて、3次元に彼氏もいなくて。世間から見たら手の施しようがない社会不適合者に見えるだろう。そんなのはわかっている。
それでも、「彼」を好きだという部分だけは誰にも邪魔できないし、否定される道理もない。
私が「彼」を好きだと言い、隣りに居たいのだと願うのなら、私はその気持ちのままに在りたいと思う。
将来の自分が何をして過ごしているかはわからないし、悩みは尽きない。でも、「彼」を好きな自分を認められるようになってから、いくらか心が楽になった。
未来を見すぎると今を素直に生きられなくなる。私はどうしたい?私は何を食べて、何を聴いて、何を好きだと言って生きていく?「こうしなきゃいけない」じゃなくて、「こうしたい」。自分の心に正直に生きること。私の場合、誰が好きなのか?と自分自身に問いかけたらそれがたまたま2次元にいる「彼」だったという話なのだ。
私の愛するひとは今日も、画面の向こうで微笑んでいる。

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