ささやかな幸せの粒たちをかき集めて撒き散らかす
「今日こうやって再会できた、これから先も再会(REUNION)を続けていきたい」そう言っていたREUNIONという名前の付いたツアーの最後が一人ギターを背負いステージの真ん中でスポットライトを浴びて弾き語る ”シーユーアゲイン” だなんて。そんな綺麗で未来しかない最後を一体誰が想像出来ただろうか。
このアルバムもこのツアーも大好きだったので「終わらないでよ」と最後の最後までぐずぐずぐずぐずしていたけれど「今日再会出来たみなさんと、また、再会出来るように」と高橋優が言った時、ああこのツアーは今日で終わるけど今日は次に向けての始まりでもあるんだと思った。なんだ、始まりか。それならいいや。なんだかまたちょっと頑張れそうだ。
私の中の高橋優は熱いけど冷たくて淡々としている人、というイメージがあった。自分の中で囲いを決めてその中でだったらいくらでも熱くなれるけれど、その決められた囲いからは絶対はみ出さないみたいな。感情を目に見えて出すのは苦手というか、嫌いというかそういう人なのかなと思っていたので。武道館で涙を見た時は本当にビックリしたし見てはいけないものを見てしまったような気持ちにもなった。それからコロナ禍を経た今ツアーで高橋優という人の感情の囲いが脆くなってしまったのかななんて思ったりもした。あ~もうこんなつもりじゃないのに、と思ってたりしてないかなと勝手に心配する場面が何度かあった。ここ数年で、良くも悪くも色んなものが変わったしその激動の中を生きていくには誰しもが何かしら変わらざるを得なかったのかもしれない。そんな中で彼はどんな風に過ごして何を思って何を感じながら自分を発信してくれてたのだろうか…なんて勝手に思って勝手に高橋優が変わる事を恐れていたら「僕は僕のまんまさ、心配ないよ」だなんて微笑みながら歌うから。いままでの希望と絶望と悲しみと憎しみと…何もかもを全部をひっくるめたような力強いシャウトも、最後の「悲しみさえ消えてしまうくらいに」も全部が全部いつまで経っても鮮明に脳裏に張り付いて離れない。強いひと、優しくて強くて沢山傷ついてるひと。出来るだけ心も身体も健やかであれと願う。あ、また勝手に。
わたしは”終わり”とか”やめる”とか、もっと大きく言うと”死”とか。そういう類にトラウマがあるのだけれども、そういえば高橋優からそういう言葉や気持ちをを聞いたり感じたりしたことが一切ない。「死ぬまで歌い続ける」とか「また必ず会いましょう」とか、あの人にとっては普通のこと言っている認識なのかも知れないけど私にとってそういう「先」「未来」を示してくれる言葉や行動はいちいち大袈裟に胸を打ってくる。最高に嬉しくなって強い希望になって、しょぼっちぃ自分を叩き起す原動力になる。出来るだけ高橋優の生きる世界を生きたいと思える。あぁ、またぁ、大袈裟だなぁ。重いなぁ。キモいなぁ。とか言う声が聞こえてきそうだけれど、生きていく中で生きてく以外のことが絶対必要なタイプなので仕方がない。全部本当にそうなのだから仕方ない。知らない誰かの声なんかどうでもいい。ていうかそれ誰? 弱いくせにねじ切れそうなくらいひねくれ者の私が心の底から尊敬して信じられる、貴重で奇跡的で絶対的な希望をこれから先も見失いたく無い、もしそれを誰かや何かが傷付けたり悲しませたりするような事があったら腹の底から怒るし身を呈して守りたい。王様だろうが何様だろうがぶっ飛ばしていく所存だ。両手にグローブを填めて、いつだって臨戦態勢だ。まかせてほしい。今はまだ弱くて心許ないかもしれないけど、もっともっと強くなりたい。いや、あなたみたいに強くなるから。