千二百文字小説(10/12)
キッチン。それは自分を映し出すまた一つの鏡のようなものだ。
「それ取ってもらえる?」
「あー違う違う!そうそれ!ありがとう!」
街中にあるまだ小さいレストランは今日も賑わっていた。毎日100組が来店するほどだ。厨房の中も大忙しであったが、料理人たちの笑顔は絶えない。
しかし、ある日のこと。料理人の一人が多額の借金をレストランに持ち込んだ。
「……本当にごめんなさい!」
料理人は深々と頭を下げ、嘆くように言った。
「謝るんじゃない……俺たち料理人は一心同体だ。誰かの失敗はみんなの失敗なんだ」
だが、決していい方向へ進んでいくことはなかった。追い打ちをかけるように、レストランは赤字になった。
「料理長……このままじゃまずいです」
「ああ、すまない。あとは俺がどうにかする、君はもう帰りなさい」
料理長は、いつからか一人で責任を背負い込むことが正しいと思うようになった。仲間に頼ることは、弱さを見せることだと思っていたのだ。
しばらくしないうちに、料理人に給与を与えることもできなくなり、ついに、このレストランで料理長は一人になってしまったのだ。
お客さんがこない日だってあった。
料理長のあの楽しげな表情はとうに消え去り、目の下の大きなクマとシワだけが深くなっていた。
料理長は毎夜一人で厨房に立ち、手間のかかる料理を作り続ける。少しずつ、貯金を切り崩しながら、なんとか借金を返済したが、代償として心は疲弊し、キッチンの賑わいは消えていった。
「明日で、最後にしよう」
最後の夜のことだった。料理長は最後の営業を終え、シャッターを閉めようとしていた。
「料理長待ってください!」
料理長の名を呼ぶ者たち、その場にいたのは他でもない料理人たちであった。
「最後に僕たちの作った料理を食べてください!」
調理が始まるとキッチンは再び彩りを取り戻し、賑わった情景を思い出させる。
出来上がった料理が料理長の前に出される。彼はフォークを使いそれを口に運ぶ。
料理長はしばらく沈黙していた。
「いつからだろう。俺は一番大事なお前たちの存在がいかに大切だったか忘れてしまっていた。そしていつしか、自分一人でやることに固執していた。お前らを失いたくなかったんだ」
味覚と嗅覚が脳を刺激し、全ての記憶を鮮明に彷彿とさせていく。そして聞こえる。レストランが賑わっていた頃の音が。
幸せの泡粒が心の中の固い何かを溶かして湧き出てくるようだった。
「なんて温かい料理なのだろう。思い出させてくれてありがとう」
「料理長……!もう一度やり直しませんか。足りないお金は僕たちの貯金で少しずつ出しますから!あなたが私たちに教えてくれたのは料理だけじゃない。人を信じること、チームワークの大切さも教えてくれた。『俺たち料理人は一心同体だ』って。だから、今度は僕たちがあなたを支える番です!」
「お前たち……ああ、俺はただ頼るだけでよかったんだな……」
タイトル『記憶とキッチン』
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