「安全安心」のために社会が止まる
「安全安心」という言葉が巷にあふれるようになってどのくらいだろう。
ここ数年でテレビも新聞も政治家も何かというと安全安心、安心安全と枕詞のごとく使っている。
前は「安全」を使っていたところがすべて「安全安心」に置き換わってしまったようだ。
「安全」は客観的に危険が排除されているか判断できるが
「安心」は主観的な判断なので人それぞれ基準が違う。
豊洲の移転の時は都知事選挙も相まって「豊洲は危険」とテレビで煽りまくった挙げ句に、小池百合子が「豊洲は安全だが安心ではない」とか言ってとうとう移転を延期してしまった。
築地に比べれば格段に安全性は高いが「安心」できないそうな。
あれで都民の税金がいくら無駄になったか、、、
最近はもっぱら、不安につけこんで人の心を操りたい時に使っているのではと「安全安心」という言葉を使う政治家や企業は逆に疑ってかかるようにまでなってしまった 笑
安全性を示すデータをいくら出しても安心してもらえないというのは、データを出す側に対する信頼がないのと、政治家も役人も正面から向き合って説明することから逃げてしまっているせいだ。
誰も彼も責任を負いたくないのだ。
そして社会がさらにゼロリスクを求め、
リスクを避けるあまり社会の進歩は止まった。