アトピーで身体にコンプレックスを持っていたわたしが、推しと同じタトゥーを入れたら無敵になれた話。
物心ついたころから、重度のアトピー性皮膚炎だった。半袖で外に出ることなんてほどんどない。真夏の暑い日でも、だ。
おかげで、自分の身体には自信を持てなかった。大嫌いだった。
そんなある日、わたしは思い切った行動に出る。
一生置き忘れることのないお守りを手に入れたわたしが無敵になった話をしよう。
◾ アトピーは生まれた頃からのおともだち
アトピーは本当に気付いたらそこにいた。
幼少期は、腕の関節にあせもができるくらいだったが、小学校高学年くらいから悪化しはじめる。
中学に入ったころには、当時のいじめが原因なのか身体中が血と変な液体でグショグショだった。
顔から、首、腕、手首、手の指、胸、背中、ふくらはぎ、足の指まで…。
寝ている間にシーツに張り付くことは日常茶飯事。
わたし的には、気にせず明るく振る舞うようにしていたのだが、ある日下校中に見知らぬおばあちゃんから声をかけられる。
「それ、どうしたのぉ?」
いま思えば、心配して言ってくれたのかもしれない。
悪気はなかったのだろうけど、わたしはその時から周りの目を気にするようになった。
自分の身体のせいで、知らない人にまで嫌な思いをさせてしまっている。
それから、わたしは真夏の暑い日でもセーターを着て学校に行くようになった。
◾ 推しとの出逢い
推しとの出逢いを紹介しておこう。
わたしが推しとはじめて出逢ったのは、厳密にいうと小学2年生のころである。
好きだったアニメのエンディング曲を歌っていて、当時はそれ以外知ることはなかったが、大好きな曲だった。
それから中学1年生で運命的な出逢いを果たし、今でも追っかけることになる。
いじめを受けていたときも、アトピーが悪化して入院していたときも、辛いときも、死にたいときも、嬉しいときも、悲しいときも、いつだって推しの唄を聴いていた。
中学・高校は規則がとても厳しかったのだが、先生にバレないようにMDプレイヤーを鞄に忍ばせて学校に通っていたものだった。
推しの音楽で育ったといっても過言ではない。
推しの音楽があったからこそ、今こうしてこの文章を書いている。
◾ 長年の役者になりたい夢を諦める
さて、高校を卒業したわたしは、演劇を学ぶために芸術大学に進んだ。
大学進学は望んでいなかったのだが、母親から大学にはどうしても行けと口うるさく言われていたので、それなら好きな演劇を…という理由だ。
幼稚園生の頃から舞台に立ちたいと思っていた。
しかしアトピーが悪化してからというもの、役者になりたい思うほどに周りを羨み、妬ましく思うようにもなった。
舞台役者として人の前に立ちたいという気持ち、だけどアトピーだから人の前には立ってはいけないだろうという気持ちが混ざる。
とにかく人の目が怖かった。
膨大な学費がかかっていたにもかかわらず、大学を卒業すると同時に役者になる夢は諦めたのだ。
◾ ダメ男ホイホイになったきっかけ
中学・高校は女子校だったので、大学に入り異性がそばにいるのは新鮮だった。
だけど、そんなときに頭をよぎるのはいつだってアトピーのこと。
このくらいの年齢なら、着たいものを着て、好きなひととも気兼ねなく身体を重ねることができただろうに。
好きな人に嫌われたら…。
好きな人に気持ち悪がられたら……。
だから、そんな自分でも受け入れてくれるひとが現れると、当時は簡単に身体を許してしまうのだった。
◾ 突然の決意と覚悟
新卒で就職活動はしなかったので、大学卒業後はキャリア迷子だった。
きっかけはあまり覚えていないのだが、当時じぶん史上最強に堕ちていた。
「強みもない」「夢もない」「仕事も続かない」「自分が嫌い」「自信がもてない」「何の取り柄もない」「好きな人に捨てられたくない」……
自信のなさから、負のループに陥っていたわたしは、何か安心できる証拠が欲しかったのだろう。
推しが身に付けているものと同じ指輪やピアスをつけるのだけど、満たされない。そんな失くしたら終わっちゃうものじゃなくて、もっと確かなお守りが欲しかったのだ。
それからのわたしの行動はめちゃくちゃ早かった。
推しが施術したタトゥー屋さんを調べ、連絡を入れる。
彫師さんは当時もうお店を構えていなくて、忙しい方だった。
施術にあたり「どうしてタトゥーを入れたいのか?」などの簡単なヒアリングをされる。理由によっては断ることもあるそうだ。
一通り自分の想いを伝え、推しに似ているといってくれた彫師さんは、施術を快く引き受けてくれた。
◾ わたしがわたしである証
当日は、推しが座ったという椅子をわざわざ持ってきてくれて、その上で施術して頂いた。
時間は半日くらいかかっただろうか。
痛かった。とっても痛かった。
施術の痛みじゃない、それは、今までずっと我慢していたわたし自身の痛み。
"普通の女の子になりたい"
ただそれだけなのに。
ボロボロになった両腕を眺めては、きっと一生付き合っていかなくちゃいけないんだろうなって思ってた。
「どうしてわたしがアトピーなんだろう」
なんともない弟や、たいして演技のうまくない、けれど肌の綺麗な友達と比べては、自分が生まれたことすらも恨んだ。
それでも、絶対に勢いで親に文句を言ったことはなかった。
だって誰が悪いわけでもなかったのは分かっているから。
でもだからこそ、この思いをどこにぶつければいいか分からなかった。ずっとずっと辛かった。
だから、完成したタトゥーを鏡越しに見たとき、その美しさに涙が出た。
だいすきなひとの一部分を貰ったから、凄く強くなれたような気がしたのだ。
どこかに置き忘れることのない、たいせつな、たいせつなわたしのお守り。
誰のものでもない、わたしの身体。
わたしがわたしである証。
タトゥーは推しが入れている左肩から、腕を下ろした直線上の腰下に入れた。
「この場所でお願いします」と依頼したとき、彫師さんは目を大きくさせてびっくりしていた。
なぜならその位置は、座っても、しゃがんでも、足を曲げても絶対に形が崩れない、完璧な位置だったから。
直感で決めたので、わたしもすごい嬉しかったのを覚えている。
◾ おわりに
タトゥーを入れたことは、4年経った今でもまったく後悔していない。
タトゥーを入れれば、温泉やサウナには気軽に行けないし、MRIは受けられなくなるし、保険にも入れない。
でもそんなのも引っくるめて分かった上での決意と覚悟である。
何より、わたしはタトゥーを入れたことによってアトピーの自分を好きになれた。身体を大切にするようになった。自分を受け入れることができた。
それだけで、本当に入れてよかったと思う。
いまだ日本ではなかなか受け入れられないようだが、こうした想いや覚悟があってタトゥーを入れるひとも一定多数いるということを少しでも知ってもらえたら嬉しい。