仲良くなっても、疎遠になるのは一瞬
私には高校生の頃、一緒にお昼ごはんを食べるのはもちろんのこと、放課後や休みの日に遊びに行ったり、お互いの誕生日をお祝いしあったり‥‥仲良くしていた4人の友だちがいた。
人に話しかけることが苦手で、誰かと仲良くなるのに時間がかかってしまう私にとって、彼女たちとの関係は親友に近い存在となっていた。
しかし、当時の私にとって大切な存在だった彼女たちが、今とってなってはどこで何をしているかなんて見当もつかない。
このように仲のいい人たちと疎遠になってしまったのは、この一件だけではない。
クラス替えや卒業、就職、転職、事あるごとに仲がいいと思っていた人たちとの友情期間がプツンと切れたように、人間関係がアップデートされてきた。
大半の友だちがそのアップデートで距離が遠くなってしまい、また一から新たな人間関係を作らなければならなくなる。
そうやって友だちと疎遠になってしまうのは、もしかすると自分のせいなんじゃないかと思うよになっていた。
だから、嫌なことがあっても黙ってたり、
相手に何でも合わせてみたり‥‥
だが、それでもアップデートは変わらず起こったのだった。
人と疎遠になるの理由は、きっと一つではないだろう。
だけど、なんとなく感じたことがある。
アップデートされたからと言って、疎遠になってしまった人たちが大切じゃなくなったかと言うと、必ずしもそうではないということ。
ただ、どんなにその時仲良くしていても、
会う頻度が減れば連絡するのが億劫になり、
躊躇するようになり、
そして自分でも気付かぬうちにその人のことを忘れてしまうのだ。
ふと思い出した時にはもう、連絡できなくなるくらい心の距離が遠くなってしまっている。
そして、新たな地で新たな大切にしたいと思う人や時間ができてしまっているのだ。
もしかすると人間関係のアップデートは自然なことかもしれない。
だが、「中学の友だち」「高校の友だち」とか暗黙的に区別されている、そんな関係性があまりにもドライで、私には少しショックだったのだろう。
今でも人間関係のアップデートには慣れないが、これからは相手に期待することも、友だち作りに気負いすることもやめようと思う。
自分がこの人とずっと繋がっていたいと思っても上手くいかないこともあるし、意外に何年もなんだかんだ仲良くしている人もいるから。
頑張ったり、お願いしたりしたからと言って、どうにかなるものではないらしい。
だから、誰かと疎遠になる切なさを見てみぬふりして、それぞれの瞬間で出会う、自分のことを大切にしてくれる人、自分が大切にしたいと思う人だけを大事にしながら生きるしかないのだと思うようにした。
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