両親が離婚して嬉しかった話
こんにちは。泥ん子です。もう五回目なのでご存知の方も多いかと思いますが限界夢女をしています。今回の話は私が限界夢女である事は特に関係ありませんが、私の存在自体に嫌悪感を覚えるタイプの人類はここでお帰りください。また、この記事はマイルドな下ネタを含みます。義務教育をまだ終えていない方もこの場でUターンをお願いします。
何より今回の記事はいつも以上に完全な自分語りを含んでおりますので、苦手な方は見ない事をお勧めします。
最近、とある友人から相談を受けました。内容は「両親が離婚しそうで困っている」というものです。私はホー、と思いました。というのも、私は両親に対し「サッサと離婚すれば良いのにな」と思っていたタイプの子供だからです。両親の離婚に対して困る、だとかマイナスの感情を抱いた事が無かったので、友人の相談内容は私にとって目から鱗というものでした。
それはそうとして勿論、友人の相談には誠心誠意対応させて頂きましたが、それを切っ掛けに自分の両親について思いを馳せる事になりましたので、折角だから文章として残しておこうと今記事を書いています。我が父と母の元にこの記事が届かない事を心よりお祈り申し上げております。
さて、私の両親ですが、一昨年無事に熟年離婚を果たしました。この無事に、というのは私も小学生の頃から子供ながらに「この二人はいつかお別れするのだろうな」と感じ取っていたからです。
顔を合わせれば喧嘩。合わせなくても喧嘩。毎日毎日怒声と罵声の飛び交う家庭で育ちましたので、そう思うのも無理はなかったと思います。別にそれを憂いた事はありません。母は母として私を厳しく育て上げてくれましたし、父は父として友達のように私と接してくれました。やっぱり嘘です。普通に母は厳し過ぎたし父は私に関心が無さすぎたと思います。
母は何処に出しても恥ずかしくないような教育ママで、一言目には勉強、二言目には成績、そんな人でした。ですので私も物心ついた時には英会話教室にブチ込まれ進研ゼミを定期購読しつつ進学塾に通っておりました。唯一の救いは私が勉強嫌いではなかった事ですが、仮に私が勉強嫌いなら今頃はグレていたと思います。習い事も一つや二つの話ではなく、習字に英会話に水泳にピアノにバレエに塾にテニスにバレーになんかよく分かんねえ体操競技など、異常な数をブチ込まれておりました。裏を返せば色々な事を経験させてくれたという話ですので、これについては有り難くも思っています。半分嘘です。ちょっとやりすぎだろとは思ってました。でも母のお陰でマナーや常識を身につける事が出来たので良い親だったと思います。
父はそんな母とは対照的に私の成績などに特に関心のある様子はなく、私が母に勉強しなさいと怒られている横で我関せずと新聞を読んでいるような人でした。普段新聞読まねえのによ。分かってんだぞ政治に関心あるフリして四コマ読んでたの。しかし、アニメや漫画、ゲームなどの類を徹底的に嫌う母とは違い、父はそういった方面への理解が深い人でした。なので私も休みの日は父と肩を並べてゲームをして、楽しく遊んだ記憶があります。成績に関心のない父の隣は、私にとって安心できる場所でもありました。半分嘘です。それは言い過ぎました。でも友達のような感覚で接してくれるタイプだったので、母とは違った方向性で良い親だったと思います。
そんな正反対の二人が合う訳無いんですけどね。結局一緒にいるには価値観とやらが大切になる訳で、私の母と父はその価値観とやらの根本から食い違っていた訳です。
一度母に「なぜ父と結婚したのか」と聞いた事があります。母は「分からん‼️‼️」とバカデカ大音量で答えました。
父に「なぜ母と結婚したのか」と聞いた事があります。父は黙って首を傾げました。ホラもうこの時点で正反対なんだって。
これは余談です。私が物心ついた時には既に仲が悪い両親ではありましたが、何故か私が小学校高学年くらいの時に妹が爆誕しました。十個下の妹です。当時は「妹‼️ヤッター‼️」と喜んでいましたが、今となっては訳が分かりません。皆さんもご存知かと思いますが、人間というのは基本的に人間同士の交尾から産まれるのです。分かりやすく言うと、妹は私の母と父がセッしない限りこの世に爆誕しないのです。
正直大人になってから「ぶっちゃけ私の妹、私と半分しか血繋がってないんじゃね」と思い、同じく疑問に思っていたらしい祖母と二人で母に詰め寄りましたが、妹は正真正銘両親の娘だそうです。何故なのでしょうか。仲直りセッでもしたのでしょうか。仲直りセッは大好物ですが両親で想像するとゲロ吐きそうになってきたのでこの話はここで止めておきたいと思います。
さてそんな妹も幼いながらにして両親の仲の悪さを悟ったらしく、よく私に「なんでお母さんとお父さんは離婚しないの」などと疑問を投げかけてくる程でした。私は「分からん‼️‼️」とバカデカゴミカス大音量で答えました。私の声量は母譲りでした。
そんな離婚を引き延ばしに引き延ばした両親でしたが、ついぞ最近、ついに離婚を果たしました。切っ掛けは私の一人暮らしだったと思います。私が家を出て、親の手を離れた事で、母と父も自分の人生について改めて考える切っ掛けになったのでしょう。親は偉大ですね。自分の人生だけではなくて子供の人生についても考えないといけないのですから。その点については親という存在丸ごと尊敬しています。
欲を言えば妹が小学校を卒業するまでは離婚を待ってやれよと思わなくもありませんでした。両親が離婚を決めた時、妹は小学校5年生で、離婚と共に母方の祖父母の家へと引っ越さなければならないという状況にあったからです。という事は転校が伴う訳ですから、卒業式くらい慣れ親しんだ友達と出たいだろうという姉心でした。とはいえ妹は母に「お父さんと離れ離れになるけど代わりに犬飼ってあげるから」と言われ、「犬‼️‼️(満面の笑み)」と秒で気持ちを切り替えて快諾していましたので我が妹ながら強かだなと頷いた記憶があります。哀れ、父。そしてようこそ、新しい家族(犬)。
さてここまで長々しい文章を読んで下さった方には申し訳ないのですが、本題はここからです。タイトルの通り、このnoteは「両親が離婚して嬉しいと思った話」ですので、今から何故嬉しかったのかを書きたいと思います。今回の記事は随分と長いですね。なんですか?文句ですか?ウルセ〜‼️黙って見ろ‼️
簡潔に申し上げますと、両親が離婚前よりも随分とイキイキしているのです。
母は父と離婚した事で「良き母で居なければいけない」という重圧から解放され「一人の女性」になりました。勿論私たちが彼女に母である事を強制した訳ではありません。でも母は、私の為を思って良き母であろうとしたのだと思います。その結果が鬼の教育ママ爆誕な訳ですが、それも母の単に「娘を教養のある立派な人間にしてあげたい」という気持ちから産まれたのでしょうし特に非難しません。母から厳しく躾けられて良かったと今では思っています。
そんな教育ママが母という重圧から解放されてどうなったかという話ですが、もう物っ凄い夜遊びするようになりました。母は生粋の酒好きで、今は流石に落ち着きましたが、離婚直後はほぼ毎晩飲みに出ていました。妹の面倒をブン投げられた祖母からすれば良い迷惑です。妹はお母さんが居ない間に漫画が読めるとウッキウキしていました。不幸になったのは祖母だけです。私が祖父母の家に遊びに行く度に祖母は私に「アンタのお母さんの親の顔が見たいわ」と愚痴っていました。私はそっと鏡を差し出しました。
祖父母の家に遊びに行って、妹の部屋に入った時。ベッドサイドに母が飲んだであろうシャンパンボトルがこれでもかと並べられていて失神するかと思いました。「ベッドサイドランプですけどなにか?」と言いたげな顔をしてモエ・エ・シャンドンが鎮座していた時の絶望たるや。流石に教育が悪いと母に怒りましたが、妹は気に入っているようだったので、今もモエ・エ・シャンドンは眩い光を放ちながら妹の睡眠を見守っています。
ゴミみたいなエピソードを書いてしまいましたが、とにかく母は凄く楽しそうです。離婚前には見た事が無かったような笑顔で友人と肩を組む彼女の写真が私のラインに度々送られてきます。私はその度に「若く見えるね」「可愛いね」と母を褒める訳ですが、母は写真を送った時点で満足しているので普通に既読無視してきます。ホンマにクソ。馬鹿だなあ、離婚前もそうやって無邪気なままで居たら良かったのに。
父は母と離婚した後で、「穏やかで自由な時間」を得る事ができました。父は観葉植物や熱帯魚飼育を密かな趣味にしていましたが、父と母の趣味は残念ながら合わず、彼は我慢していました。今、父が住んでいる家は、沢山の観葉植物や大きな水槽で溢れています。妹と父は月に一度会っているようで、妹と一緒に熱帯魚を見に行く事もあるようです。あれ程子供に無関心だったように見えた父が、妹と積極的に出掛けているのですから驚く事です。これは私の勝手な予想ですが、熱心な教育指導を行っていた母が父の行動を無意識の内に抑圧してしまっていて、父は喧嘩になるのが嫌で変に子供に手を出す事を控えていたのかもしれません。知らんけど。
そんな父から「ニコちゃん、今日は飲み過ぎないようにね(酒の絵文字)」というLINEが届いた事もあります。私の名前はニコではありません。完全にキャバ嬢に送るLINEを誤爆しています。父は離婚前、滅多に酒を飲む事が無い人でしたしキャバ通いをしている様子は見られませんでしたので、私は微笑ましくなりました。良かったね、好きな事出来るようになって。そんな穏やかな気持ちのまま、私は「草」と返信しました。父からの返事はありませんでした。ホンマ草。
ゴミみたいなエピソードを書いてしまいましたが、とにかく父は凄く楽しそうです。離れ離れになってしまったからこそ、娘の誕生日や祝い事は欠かしたくないという気持ちからか、そういったイベントの度に父は欠かさず連絡をくれます。久しぶりに会った時、ふと就職活動の相談をしたら、父は真面目な顔で真剣に相談に乗ってくれました。馬鹿だなあ、離婚前もそうやって子供と向き合ってくれれば良かったのに。
馬鹿だなあ、二人とも。
そんな馬鹿二人から産まれたのが私です。ごめん父ちゃん母ちゃん、オラ好奇心で媚薬飲むような娘に育っちまった。私が一番馬鹿。
私はそんな馬鹿な子供なので親になる人の葛藤や苦しみを理解出来ている訳ではありませんが、「親」としての責任に縛られて自分を見失う人がチョットでも減ったら良いのにな、と思いました。
またまた余談ですが、相談してきた友人のご両親は離婚の危機を回避し今は仲良く暮らしているようです。良かったね。
おわり
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