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昔の自分が可哀想なのでアイドルになった話


こんにちは。泥ん子です。限界夢女をしていますが今回の話とそれはそこまで関係がありません。が、私が夢見る乙女であるという事自体に嫌悪感を抱くタイプの人類はこの場でプラウザバックして下さい。

また、今回の話は前回の両親が離婚してめちゃハッピーだった話(意訳)と同様自分語りの要素を多く含みます。苦手な人類もこの場で退散して下さい。また、繋がる部分が御座いますので前回の記事を読んでいた方が今回の話は分かりやすいと思います。読め‼️








アイドルになりました。

何を言っているのか分からないと思うんですけど私も何を言っているのか分からないのでお揃いですね‼️(バカの顔)

今回の記事はタイトルの通り、昔の自分が可哀想だったのでアイドルになった話です。特に記事にする事でもないかな、と思ったのですが、私と同じ理由で夢を諦めたヒューマンもこの世には割と存在するのではないかと思い皆さんと傷を舐め合う為に書きました。

前回の記事でもお話ししましたが、母は私が幼い頃結構な教育ママでした。父があまり仕事が得意な人では無かった(と、母からは聞かされていましたが実際どうだったかは分かりません)ので、母は私に常日頃から「ちゃんとした人間になりなさい」「良い大学に行って良い仕事につきなさい」と口を酸っぱくして言い聞かせていました。

母はサブカルチャーの類が嫌いな人でした。アニメや漫画にゲームは勿論苦手で、私がそれを好む素振りを見せると顔を顰めていました。勉学の邪魔になると思ったのでしょう。また、私が色気付く事にも難色を示す人でした。周りの子達がお化粧を覚え、腕や脚に毛が生えている事を疎い身綺麗にし、眉毛を整えている頃、私が同じ事をしようとすると眉を寄せて「そんなのアンタにはまだ早い」と言いました。早いワケねえだろ‼️気になった瞬間に毛は剃りてえし眉毛は整えてえんだヨ‼️と今では思いますが、当時の私は母に怒られるのが嫌でなるべく口に出さないようにしていました。

母の名誉の為に念の為補足しておきます。彼女は今やストレスから解放され、かつて苦手だったアニメや漫画も積極的に見るようになっています。私に面白いアニメを聞いては、「意外と面白い」なんて笑って楽しそうに妹と話しています。好きなアニメは「ヲタクに恋は難しい」だそうです。良かったね。因みに私は最近遂にヲタクであることがバレました。緩やかな死。今は母にTwitterアカウントがバレないよう、必死に彼女をSNSの世界から遠ざけています。




さて、話を戻します。

小学校低学年の頃でしょうか。学校の授業で「将来の夢を考えましょう」というものがありました。多分道徳だか何だかの時間だった気がしますが詳しくは覚えていません。兎に角、一枚のプリントを渡されて、「将来の夢」と「その夢を実現する為にこれからどうするか」みたいな事を書く授業でした。

授業も終わりに近づいた頃、先生が皆のプリントを見て回りました。お花屋さんやケーキ屋さんにプリキュア、沢山の夢が詰まったプリントを見て先生はニコニコしていましたが、私の席の隣に来てピタリと止まりました。

白紙だったのです。

渡された時と何ら変わらない、真っ新の状態のプリントを前に固まっている私を見て先生は困ったように聞きました。「泥ん子さん、夢はなんですか」と。私は答えることが出来ませんでした。今でもあの時の、眉の下がった先生の顔が忘れられません。今となっては別に夢無い人間がおってもエエやろ‼️と思いますが。

然し私は夢が無かった訳ではありません。

書けなかったのです。

私は知っていました。この夢を書いたプリントは授業が終わったら教室の掲示板に張り出され、そして授業参観で親が見るのです。我が子の夢は何なのかと嬉しそうに見に来るのです。そして微笑ましい気持ちになって帰って、家で自分の子供とそれについて話すのです。ところで今ふと思い出したけど将来の夢に「おにぎり」って書いてた中村君元気かな。親御さんはきっとおにぎりになりたい彼の意思を尊重して、彼は今頃立派なおにぎりになっている事でしょう。

私はといえば、母に夢を知られる事が怖くて自分の夢をプリントに書く事は勿論、隣の席の中村君をリスペクトして米に大志を抱く事すら出来ませんでした。

結局私は担任の先生と様子を見に来た学年主任に囲まれ、将来の夢に「公務員」と書き、その為に何をするかの欄に「東大に行く」と書きました。「公務員は安泰だから」って母もよく言ってたし、この夢なら怒られないと思って。公務員になるには大学に行くものだと幼い私は勘違いしていて(別に大学に行かなくてもなれる)、当時は大学を東京大学しか知らなかったので取り敢えず書きました。大人になって東京大学が如何なるものかを知った後は過去の自分をボコボコにしたい気持ちでおっぱいです。行ける訳ねえだろうが。

クソどうでもいいんですけど、夢を書けない生徒を教師二人がかりで囲んで「将来は何になりたいの?」「どんな事でも良いんだよ」「折角だから夢書いてみようね」とかって詰め寄るの圧ヤバいですよね。イヤ純粋に困ってた私を心配してくれてたんだろうけど如何せん圧がスゲエ。私は長女だから泣かなかったけど次女だったら泣いてた。








と、いう話をこの間思い出したんだ‼️

マジで友達との何気ない会話で小さい頃の夢の話になってこの時の事を思い出して。「アそういやあの時私プリントに本当はなんて書きたかったんだろう」と思って、それで思い出したんですよね。


アイドルだわ多分。


本当は公務員じゃなくてアイドルになりたかったんだわ。アイドルも当たり前に立派なお仕事なので、「アイドルって夢を書いたら母に怒られると思った」とか言ったら炎上しそうで怖いんですけどそういう事じゃなくて。多分当時の母はアイドルとかキラキラした可愛いものじゃなくて、公務員とかのカッチリした夢を望んでるだろうなと思ったんです。マア実際「アイドルになりたい」って言ってても何やかんや応援してくれてたかもしれないですけどね。別に良い親だったので。知らんけど。

でもいざ記憶を掘り起こしてみれば、あの時親の目を気にして本当の夢を書けなかった自分がとても可哀想に思えました。私はつい最近まで、自分でプリントに書いた夢に縛られて本当に公務員になろうと思っていたし。勿論公務員も素敵だけれど、それは私が本当にやりたい事では無かった筈なのに。



さて、私はつい最近お友達からこんな話を聞いたばかりでした。「最近近くにアイドルカフェが出来たらしいよ」と。形態はコンカフェだけれどアイドルを目指す女の子達が集まっていて、ライブもして、カフェ発祥のアイドルグループも結成するのだと。メンバーの中には元々アイドルをしていた子だって居るのだと。

フ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン。







じゃあ今からでも遅くなくね⁉️⁉️


私は就職が決まっている身なので本格的な活動は出来ないかもしれないけれど、昔の自分が成りたかったアイドルに限りなく近付いてあげる事は出来るんじゃないだろうか。あの日プリントに書けなかった夢を叶えてやっても良いんじゃないだろうか。

と、いう事で思い立った瞬間に連絡して面接に行って無事受かってアイドルカフェでアイドルとして働く事になりました。己の決断力と行動力に恐れ戦いていますが後悔はしていません。私が最年長と聞いて思わずゲンドウポーズになりましたがモーマンタイです。

「アイドルとして活動する時の名前何にする?」と聞かれ全然思い付かなかったので「泥ん子で良いですか?」って聞いたら「どろんこ⁉️⁉️⁉️」つってこの世の終わりみたいな顔されましたが私は元気です。

泥ん子は反応が悪かったので寝ずに悩んだ結果、私が書いているユメショッセツのとある女の子の苗字と名前を借りる事にしました。夢主の名前を使うのは気恥ずかしいものがあったし、読者の皆さんの健やかな妄想を妨げる事になるかなと一応心配はしたのですがマジで名前思い付かなかったので使います。許してください。

丁度昨日から活動を始めて、今日活動用のツイッターアカウントも作成しました。母見てる〜〜〜〜⁉️見るな




という訳で長くなりましたがアイドルになった話でした。

別にアイドルになったからといって此方での活動を辞めるつもりは当たり前に無いですし媚薬も飲むしホストレポも書くんで安心はしないでください。誰か止めてください。止まらねえけど。

皆さんの中にもお話を聞く限り、私と同じように本当にやりたい夢を抑圧されてしまった方も居るんじゃないかなと思います。私は勝手に夢捨てただけだけど。兎も角、そんな方にも私の事を思い出して「マアあいつ突然アイドルになったし人生どうにでもなるな」と笑って貰えれば嬉しいです。

皆も止まるんじゃねえぞ...その先に俺は居るからよ...。





おわり


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