周りの人は自分の鏡・・・の仕組み
ほぼほぼスピリチュアルな話だと思っていたのだけども、そうでは無かった。
「人間は自分の関心や興味のある事にしか反応しない」という物理的な反応が原因だった。
逆に興味の無いことはフィルターをかけて排除している、とも言い換えられる。
例えば、行動経済学でいうところの、カクテルパーティー効果。ガヤガヤしているパーティー会場で、自分が関心のある声だけ聞こえるというもの。
あとは、賑やかなショッピングモールのフードコードで、遠くからの家族の「おーい」だけははっきり聞こえるとか、とても優れたフィルターを人間は持っている。
その機能が「周りの人は自分の鏡」を実現しているのだから、信じる信じないの話ではなくて、至極当然のことだったんだ。
どういうことかというと・・・
当然自分自身は、最も大きな関心・興味の対象になる。良い意味でも悪い意味でも。
認めたくはないけど、こんな嫌な面を持っていると十分理解している。つまり、嫌な部分にとても関心を寄せている。
嫌な部分・・・例えば、不愛想としてみよう。
「不愛想な自分がイヤ」という部分に強力な関心を持っている人は、「不愛想でイヤな人」を感知するアンテナが鋭くなる。
なぜなら冒頭に書いた通り、人は関心・興味のある事にしか反応しないから。
それが自分でも他人でも関係ない。「不愛想」に敏感になっている。
そんなところに、不愛想な他人が現れたらどうだろうか。
実はその人、不愛想ではあるがメチャクチャ優しくて気遣い出来るのに、それらにアンテナが立っていないので気付くことが出来ず、「不愛想な嫌な人」と認識してしまう。
よって、他人への評価 = 自分自身の事 ということになるんだ。
人は、基本的にマイナス思考なのだそうだ。
外部からの刺激(五感)を大脳新皮質で感知してから、トータル0.5秒でマイナス要素を作り出すそうだ。
なので、良いことよりも悪いことの方を考えやすく(関心を持ちやすく)、その結果、周りの人に自分の欠点を見ることになる・・・これが鏡の正体であった。
迷信やオカルトみたいな話じゃないので、ものすごく自分で納得できた。
自分自身(ブログ書いてる人)の話になるが・・・比較的もの静かな人間だと思っている。
だけど、ガハハハと豪快にしゃべる人は苦手としている。これ(豪快)が自分の欠点・・・とは全く思えないなぁ。
これはもしかしたら、「騒がしい豪快な人はイヤな人」という固定観念が表に出ているのかもしれない。(新発見!)
「自分の長所・欠点に加えて、固定観念」 を周りの人を通して感じているんだ!
長所だ欠点だと思うことも結局固定観念であるので、結局のところシンプルに、
「周りに自分の固定観念を見ている!」
これが結論となる。(たぶん)
おわり。
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