「五月病」は、5月を乗り切るための合言葉だったのかもしれない
「え、もう5月終わるの?」
今朝起きて、ふと思った。
5月は仲のいい友人の誕生日が複数回あったから
その日が何日かは把握していたはずだし、
会社の日報でも毎日日付を書いていたはずなのに
気づいていなかった。(?)
もはや意味がわからない。
というより、何か自分の潜在的な本能みたいなものが、気づかせないようにしていたのかもしれない。
5月がどんな月だったかを一言で表すなら
「だらけた」
に尽きる。
4月はあんなに頑張れていた毎朝のトイレ掃除や、夜帰宅してからの2時間以上の勉強。
5月はサボりにサボった記憶しかない。
『来週から頑張ろ〜』
を4回繰り返して、終わった。
4月に2ヶ月分のエネルギーを使い果たした感さえある。
でもそんな私を、救ってくれた言葉がある。
そう、「五月病」だ。
GW明けに、会社で役員の方とすれ違って、聞かれた。
👨『大丈夫?五月病なってない?』
👩『はい、なんとかギリギリのところで耐えてます!(嘘)』
👨『お〜そっか。私は五月病だよ。何年サラリーマンやってても、どんな立場になってもなるものだからね〜。』
この時『あ、自分も五月病って認めていいんだ』と良くも悪くも気づいた。
5月を頑張れなかったことはもちろん悔しい。
ただ、「五月病」という言葉がなければ、自己嫌悪で自分を責め続けていたかもしれない。
それを防ぐために、
何かとしんどい5月を乗り切るために、
誰かが「五月病」と銘打って、みんなが苦しくならないようにしてくれたのかもしれない。
でももう来月からは
「六月病」なんて言い訳はできない。
今日含めあと2日しかないけれど、
もう一度4月の自分を見習って、
再スタートしてみよう。
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