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それでもりんごの木を植える

最近、もう目を瞑ってしまいたくなるようなニュースが溢れていますよね。
都知事選、アメリカ大統領選、ガザでの戦い、ロシアとウクライナの戦い、、、挙げればキリがありませんが、もうニュースを見ることも、ひいてはこの世界を直視することも、こんな世界に生き続けることも辛いと思う方もいるのではないでしょうか。

少なくとも私はそのひとりで、大学院で勉強して世界情勢を知れば知るほど救いようのないような絶望感を抱いてしまって。
病の患者が、その病を取り除きたいと思うのと同じように、私はもうこの世界を取り除きたい、自分という存在をこの世界に置くのを諦めたいと思う事もあります。そんなの正しくないとは分かっていますが、それでも。

でも、いくつかの希望を最近見つけたのでそれを今日は共有したいと思います。暗い話はここまでです。

■天岩戸神話

天岩戸神話

■あらすじ
世界秩序・太陽の女神とされるアマテラスオオミカミと、その弟で秩序を破壊するスサノオノミコトという神様がいました。
その弟が暴れに暴れたので、哀しんだアマテラスさんは岩屋に隠れて戸を閉めてしまったんですね。つまり、秩序が失われて世界が真っ暗闇になってしまったわけです。
世界が真っ暗闇になってしまって、困った人々は何とかもう一度アマテラスさんにこの世に出てきてもらいたいので、そこでアメノウズメノミコトという神様を送り出して岩戸の前で裸踊りをさせるんですね。そしたら岩戸の前に集まった八百万の神々が皆で声を立ててわらったんですね。(わらうは咲うという字で書かれています)
あまりに楽しそうに神々が笑っているので、アマテラスさんは岩戸を少しだけ開けて、何をしてるんだろうと覗いてみた。
そこをタジカラノオミコトという力持ちの神様が、少し開いた岩戸をガラッと引き開けたので、アマテラスさんは再びこの世に戻り世界がまた明るくなりました。
というところです。(引用:山尾三省 アニミズムという希望)

私がこの神話照らし合わせたのは、明るい市民運動と、私のように閉じこもってしまう人間のことです。
明るい市民運動とは、例えばLGBTQのレインボープライドのような運動をイメージしてください。市民運動とパレードのあわいのような感じで、生き生きとしていて自然と注目してしまいますよね。決してヘイトや恨み節で自分たちの地位を確保しようとするものではない、真に力強いものだと感じます。
レインボープライドがきっかけで「アライ(ally)」と呼ばれるLGBTQ当事者ではないけれど、彼らを支援する、賛同する存在という新しい立ち位置も確立されました。

それに対して、塞ぎ込んでしまって一人涙を流すようなタイプもいますよね。そんな方はアマテラスさんに重ね合わせてしまいます。
きっと世界の秩序を守らんとする人で、責任感もある、いわば世界を照らしてくれるような、そんな人こそ閉じこもってしまうのかも知れません。

そんな人を、そんな自分をこの世に引き戻すにはアメノウズメノミコトさんが裸踊りをしたように、八百万の神が大笑いしたように、楽しいことを作ってあげるのが効果的なんじゃないかと思ったんですね。

世界では悲惨な戦争が今も起こっていますが、それと同時に夏の緑が美しく風になびいていて、花も生き生きと咲いている。
どちらも同じ時の同じ世界で起こってることで、私たちはどちらもバランスよく見る権利があるし、見ていくべきものです。

なのでこの世界、社会、家族、学校などに絶望してもう捨ててしまいたいような気持ちになった時には、この世にしっかりと存在しているはず、だけど見えていなかった美しいものに目を向けてみるのもいいんじゃないか、と感じたという話でした。

■明日世界が滅ぶとしても

Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree.
たとえ明日 世界が滅びるとしても、私はリンゴの木を植える。

マルティン・ルター

稲や野菜は、種をまいてから1年間で収穫できます。しかし、りんごは樹の形をつくるだけで4~5年を要し、1本の木が最大の収量となるまでには10年程度かかるそうです。
要するに、成長まで時間のかかる木なんですね。
それでもルターは、世界の終わる前日であってもりんごの木を植えるというのです。

これはどういうことかと夫に相談してみたんですが、私はその時彼が言ったことに大変納得したんです。

自分のコントロールできることに集中するしかないんじゃないかな。
僕は世界中の人を助けることはできないけど、奥さんのことなら幸せにできるかも知れない。だからそれに全力を注ぐべきなんだ。
僕は明日世界が滅ぶと知ったら、奥さんに美味しいご飯を作ってあげたい。

夫(フランス人)

なるほど、それをルターは「りんごの木」と表現したのだろうと思いました。
世界が滅ぶことは、自分にはどうすることもできない。
世界の人を救うことも、自分にはできない。
自分の命ももう、自分には救うことができない。
しかし、自分の信念と行動だけはいつまでも自分のもの。
それに集中するだけで十分なのだ、と。

■まとめ

選挙イヤーという事もあり、気が重くなるニュースが多いですが
社会で起こる出来事から目を逸らす事なく、しかし飲み込まれる事なく、信念を持って自分の生をまっとうせねばと改めて思った次第です。

読んでいただいた方、ありがとうございます。
私は世界が明日滅ぶと知ったら、何をするんだろうなあ。。
りんごの木を植える、と言えるようになりたいものです。

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