近況報告
「君に会えて嬉しいよ。君は数少ない、『続けている』人だからね。生き残るって本当に難しい。じゃ、出会いに乾杯。」中学の時、目の前の起業家を講演会に呼びたいと先生に駄々をこねたことを思い出しながら、檸檬ハイのジョッキを両手で掲げる。当時彼は「雲の上の人」だったけれど、今の彼は私と何ら変わりない人間。私より遅いペースで串カツを食べる、くるくるパーマの痩せた20歳。
一番安い串にかぶりつきながら、果たして自分は本当に「続けて」いるのかどうかと訝る。そもそも「続ける」の定義はなんだろう。「人生は夢を忘れてしまうほどに、忙しくて面白い。」高校生の時に参加した起業家キャンプでも誰かが言っていたっけ。もしそれを「常に第一線で輝き続けること」だとすると、私は別に続けていない。「絶対に守り抜くものを決め、その軸をぶらさずに生き続けること」。このような軸の有無を「続ける」と仮定するなら?きっと私は、続けているのだと思う。
大学
昨年秋、夢だったアメリカの大学に入った。「アメリカの大学じゃなきゃいけない理由」を25個も羅列して、意気揚々と臨んだ。だけど、25個の理由の前提にあったのは、「アメリカの大学に入りたかった」のではなく、「アメリカの大学に入るような人になりたかった」だけだということ。よく「アメリカの大学に入ってよかったですか?」と聞かれるけれど、正直微妙。もちろん、アメリカの大学を目指すプロセスで自分の頭で考え、主体的に何かを選び取るということが癖づいたのはよかったと思うけれど。
動機と実際に得られたものが全然違うなんてよくある話。しっかりとした動機がなかった皆も、アメリカで凄く楽しそうにやってる。対して動機だけしっかりしてぽーんと入ったわたしは、勉強もぜんぜんついていけてないし、友達も全然できてない。渡航数時間前に駆け込んでちゃんと英文診断書まで作ってもらったのに、ADHDすぎてその提出を1年先延ばしにして、特別処置も受けられなかったから成績も悲惨(故事成語みたいね。フフ)。英語も出来ないし、翻訳機も手放せない。日本人は頭が良いからどうにかついて行けるなんて、もちろん国内で既に頭がよかった人の話で、単純に能力不足を痛感し続けた1年だった。
アメリカの大学に入った一番大きな理由として掲げていたのは、「苦手克服のために4年間を使いたかったから」。言語化能力、メタ認知能力、コミュニケーション能力といったものは中高の課外活動で身についたと信じていたから、大学ではリーダーシップ、政治経済の知識、課題を確実に遂行する粘り強さ、しなやかなメンタル、英語力、周りに惑わされず自分を信じる力といった「筋肉質な意思決定者」になるのに足りていないものを補っていきたかった。それにベストな環境が、勉強に集中できるアメリカだった。理想を言葉にすることではなにも変えられないと知っていたから。
だけどねー、苦手なことだけをやり続けるってやっぱり辛い。英文学や社会学の授業では英語にも関わらず進んで発言もできるのに、経済学はほぼ数字のくせにCしか取れない。算数の時からつまづいてたんだもの、逆になんで出来るって思ったのかしら。泣く泣くオフィスアワーにも毎日通って、「勉強できないキャラ」で笑いを取りながら、どうにか単位をゲットした。読書の習慣があるわけでもないから、課題のリーディングをこなすのも一苦労。そもそも中高6年間、課外活動しかせずに授業もほぼ聞いてないんだから、急に勉強しようとしたところでそんなことできるわけない。文化資本、学力、学習習慣の積み重ねの差は1年で縮まらない。それでもやるって決めたから、必死にくらいついてちゃんと卒業はするけどね。
幻想と組織と
リーダーシップを鍛えようと、高校生の時に参加したHLABというサマースクールにも委員長として携わった。良かったこととしては、あのとき焦がれた幻想も夢も、誰かが作っていたものだったと知れたこと。あのときサマースクールに参加していた皆は英語が喋れてかっこよくて、美人で、私が一生届かない人たちだった。しかし、実際に作る側に回ってみると、皆未完成で、凸凹な、私たちと何ら変わりなかった。どんなコミュニティも誰かがデザインをしたものである知れたことは、未だあった「別世界コンプレックス」を完全に解消させた。良かったと思う。このままじゃ、人生をコンプレックスとの戦いで消費するところだった。恋愛も人生も、いかにコンプレックスと上手く付き合っていくかのゲームだと最近思うんだけど、それを飼いならしてる人ってやっぱり素敵じゃない? そんな人になるスタートラインを切り始められたと思うと、とても嬉しい。(同様に、この社会も、だれかが手を動かして試行錯誤しながら作っているものなのだと思うようになった。「頭のいい誰かがどうにかやってくれているから口をはさむべきじゃない。」そんな訳はない。完璧じゃない人間が作っている以上、システムが完璧であることは絶対にない。個人の側から見て「おかしいな?」と思うことは、本当におかしい、為政者側が変えるべきことなのだ。)
高校の時団体も率いてきたし、プロジェクトも幾度となく立ち上げてきた。組織運営も朝飯前だと思ったけど、全然大丈夫じゃなかった。全然委員長らしいことができなかったのにサマースクールを完走できたのはまぎれもなく支えてくれた皆のお陰。ほんとうにありがとう。
ずっと、自分の人生を自分で掴み取りたかった。辛い時はブルーハーツと中島みゆきを聞いて、奥歯噛みしめて頑張った。椎名林檎の「この人生は夢だらけ」のMVの主人公に自分を重ねた。3時に起きて、先生に反対されながら授業中にアメリカの試験対策をして、帰ってすぐにオンライン対談と団体ミーティングををこなし、翌日締め切りの出願書類を徹夜で仕上げても、苦痛じゃなかった。自分の人生と、その先で変えられるかもしれない世界を思えば。
だけど、Slackの通知を必死で処理しながら藤井風のオンラインライブを視聴して、私の今までの人生のステージには、結局私しか立っていなかったことを突き付けられたような気がした。本来与えられた人生から逸れることに全力を尽くし、社会を作れるような人間になる。それを目指すステージの真ん中で歌い続ける。その道中で拾い集めたもの以外、なにも持っていないのである。自分で始めて率いていくのと、組織の一員として何かに向けて動いていくのは全く違う。後者の「悔しさ」は、大抵唐揚げとビールを流し込むことでしか解消されない。
自分のそこまで関心のない分野、かつ組織で動くという全く新しい経験。周りに沢山迷惑をかけてしまったけれど、ポジティブに考えると、組織で動く上での動き方が少しだけ身に着いた。相手を思いやった声掛け、ミーティングの組み方、リーダーの心構え、交渉のやりかた。これから大きなインパクトを生もうと努めるうえで必ず大切になってくるものを身につけられた気がしている。
大切
トラブル対応も下手くそだから、なにかあると慌てふためいて深夜3時好きな人に泣きつく。「本当にもう、君はnoteを書いて共感を得ることしかできないねぇ。」冗談なのか本気なのか分からない笑い声に、彼に生ハムと桃のサラダを作ってあげることだけで生きていけたらと思ってしまう。本当に彼は大切な人。だけど、どう頑張ってもまだ大切な人に大切だと示す方法が分からない。
一番古い記憶は、小学1年生の時。友達がチューリップに水をやるのをじっと眺めている。「なんで、チューリップに水をやるという無意味なことをやるの?もう帰らない?」そう言いたいのをぐっとこらえて、ジョーロの柄を握りしめる。人間関係というものに生まれてこの方関心が薄い。飲み会も好きじゃないし、「楽しい」という感情にも興味がない。一対一で話すのは好き。その人の思想を知るのが好きだから。人を見るのも好き。面白い。だけど、人と揉めるのも、無意味に戯れるのも嫌い。さらに、「与えられた人生」から離れるため、他と違う選択を重ねてきた。修学旅行でみんながディズニーでわいわいしてたときもインドでプロジェクトやってたし、学校行事も大体課外活動でまともに参加した記憶がない。アドバイスや忠告もまともに聞いたことがない、だってそれは「逆境」を乗り越えるために耳に入れちゃいけない情報だったから。
人間関係のいざこざは、大抵「大切にしている度合い」の差から生じる。相手は自分のことを10大切にしていて、自分は相手を5しか大切にしていない。そうすると、向こうは「ねぇ、なんで大切にしてくれないの!?」と怒ってしまう。だけど、人には「大切に出来るもの」の絶対数が決まっていて、大切にしなきゃいけない物の数が多い時、相手を大切にできなくなる。大学合格までは ①「与えられた人生から逸れ、自分の人生を生きること」で50、②「自分が『そうなるかもしれなかった人生』を生きている人たちのために生きる」が50で生きていた。
だから、とても困惑している。1つめに、①の50が消えて、何で埋めればいいのか分からないこと。人を愛したり大切にしたりする余裕で埋められるはずなのに、人を大切にしたり愛したりする方法が分からない。2つめに、「人のために生きられるような人」になるため、リーダーシップ取ったり経済の勉強頑張ったりしてるけど、まだまだそれが出来ない。
「続ける」?
きっと私は、続けられていると思う。
「神様が、生まれる場所を決めるくじがあるとする。その手が右に2ミリズレていたとしたら、ビバリーヒルズのわがままチワワだったかも。その手が左に3ミリズレていたとしたら、警官に追われ、自分が生きているということを否定されるストリートチルドレンだったかも。自分がここに生きていることは、なにひとつ当たり前じゃない。だからこそ『自分自身がこうなるかもしれなかった人生』をよりよくするために働きたい」。
6年間変わっていない、大切にしている概念。「助ける」って見下してるんじゃない?結局どんな社会が作りたいわけ?結局なにがしたいの?いろんな論点が投げかけられる日々だけど、この聖句に沿って生きている、自己紹介はそれ以上でもそれ以下でもない。リベラルな社会を作りたい訳でも、伝統的な家庭を守りたい訳でもない。フィンランドみたいな学校を建てたい訳でも、格差問題のプロになりたい訳でもない。もしかしたら社会保障費を減らすこと、社会運動をやめさせることが結果的にその目標に繋がるかもしれない。聖句以外、なんの主義にも縛られずにやっている。
「そうなるかもしれなかった人生のために生きる」ため、政治、経済、社会学、ジェンダー、歴史、全部全部学んでる。映える生き方はしてないかもしれない、辞めたように見えるかもしれない、だけど、ちゃんと、続けてる。
だけどそもそも、続けるって絶対に必要なことなんだっけ?「続ける」ことと、「続けてる」とnoteに書ける人生を送ること、どっちが大事なんだろう?この数か月間、苦しいこと、辛いことがあるたびに脳内の自分が誰かに近況報告を始めた。「ここを乗り越えたらBCGなんて怖くない!と言われるほどの団体を乗り越えました!」「沢山のものを取りこぼしてしまった人生だと最近毎日思っています。だけど、これらの犠牲がなかったら、今の自分は無かったでしょう。だから、これらは正解の選択だったんだと思います。」
近況報告という題で文章を書くということ自体が可笑しな人生だと思います。別にどんな人生を生きようが誰も知ったこっちゃない。それでも、もうやめられないのです。あの頃の自分をここまで連れてきてくれたのは、紛れもなく「第三者の目線」だから。きっと死ぬまで、名前も知らないあなたと共に、生きていくんだと思います。
それでももう、ドラマチックな人生を生きる必要なんてどこにもないのです。今まで50を埋めていた「誰のものでもない人生を生きる」。これからはそこを「大切な人たちと生きること」で埋めていきたい。いろいろなものを犠牲にし、傷つけ、やっと手に入れたこの道。道は開けても、道を踏み固め、一歩一歩前に進むための道具や体力はまだ身についていなかった、と実感した1年でした。自分自身を、大切な人を、大切にすること。自らの感性を否定しないこと。苦手なことばかりせず、得意なことも認めて、自分自身を撫でていくこと。そうやって道具や体力を身に着けて、卒業頃には、「私は」の登場回数が少ない、「そうなるかもしれなかった人たち」が主役になった道を走っていきたいね。
「あのさ、これ出す前のnoteなの。今までは、誰に何言われても自分の表現を曲げたくなかった。だけどね、今はね、表現よりあなたを大切にしたいんだ。」