竹内ズへ

2023年5月17日20時。

わたしのiPhoneに青い通知が届く。

「またなにか嫌な冗談言ってるよ」なんて思って開いたそのツイートは、嫌な冗談なんかじゃなく、受け入れ難い現実だった。

竹内ズ解散。

わたしは自称お笑い雑食。1組を追いかけている○○さんのおたく、ではなく、面白そうなライブを観に行く。演者さんに固執しないと決めている。
というか、面白い芸人さんが多すぎてこうなった。

だから、竹内ズのおたくとは烏滸がましくて名乗れない。ただ、新ネタライブは皆勤賞なほど積極的に観に行っている1組だった。

解散の文字を見て、思わず吐き気がする。目の前がくらくらする。帰宅ラッシュの新宿西口。
街行くサラリーマンやOLさん。1組の若手芸人の解散など知らずに、いつもの帰り道。
ひとり取り残されたような感覚になりながら、イヤホンからは夜に駆けるが流れ出す。

ああ、これは現実なんだろうか。

竹内ズのコントはいつもわくわくした。

台本がしっかりとした、演技派コントが好きなはずのわたしが、なぜかあんな破茶滅茶コントに惹かれた。
もう4年くらい経つんだろうか。きっかけはない。でもどんどん惹かれた。

竹内ズの良さは間違いなくコンビバランスだった。
No.1不仲コンビというキャッチコピー付きで名が知れた反面、彼らのコントは信頼の下に成り立っているように見えた。
確かに、お互いがお互いの芸人としての素質を認め合っていた。

奇想天外で無茶苦茶で、鬼才と評しても劣らない世界観を創り出すがまの助。
常人には理解できないその世界観を120%表現できる憑依力を持った竹内。
2人にしかできないコント、という表現は他のコンビでもされるけど、彼らもまさにそうだった。

解散発表直後に食べたらーめんは、確かに美味しかったはずなのに、あまり記憶として残っていない。

21時。帰りの電車で生配信を見た。実感が湧かなかった。

ライブなんか、行ける時行ってるし。行けないもんは行けないし。

知らん。不仲とか知らん。関係ない。ビジネスパートナーでいい。優勝、するんでしょ?

いつかの願い事にがまさんが「キングオブコント優勝」を掲げていたことがあった。
そんなこと、わたしらしくないのに、がまさんの願い事の隣に「これが叶いますように」と願い事を貼った。

本気で思っていた。毎月の新ネタライブは優勝までの道程。

そして、そんな活動をしてくれる竹内ズを、毎月毎月好きになっていった。
なんでわたし、この人たちが好きなんだろうと度々思った。
先述の通り、わたしが好きになるタイプのコント師じゃないことは理解していた。

でも、彼らにはそれを超える魅力があったんだね。

解散、やめられませんか。

竹内ズ、これからもずっと観ていたいよ。

おたくのわがまま、聞いてくれてもいいじゃん。

大好きでした。2人の演じるコントが。たまにやる漫才も、変で変で、好きでした。

また観たいコントいっぱいあるよ。

まだまだ新ネタも観ていきたいよ。

ばらばらになってどうすんのさ。2人だからできたことがいっぱいあったはずじゃない。

おたくはこんなにも無力だから、ごめんね、気持ち叫ばせてね。嫌で嫌で仕方ない。
一夜明けても解散は事実のままで、どうしたって変わらない。

わかる。理解はできる。頭ではわかる。

でも嫌だって気持ちが何より強いです。聞き分けのいいおたくじゃなくてごめんね。

最後まで、最後が来たって、わたしは竹内ズが好きです。ずっと好きです。

こんなにノンストップで書けてしまうんだ、というほど想いが止まらないです。
お陰で何も気の利いたこと書けてないし、支離滅裂です。

でも、最初で最後のファンレター。

がまさん、竹内さん、わたしは竹内ズに出会えて本当に幸せです。

できることなら更新し続けたかった。もっとわくわくを観ていたかった。

でも、好きだからこそ、今までくれたたくさんのわくわくを想い出として胸にしまいます。

なんだか慌ただしくて考える暇がなくて、さっき漸く泣けました。声出してわんわん泣きました。
悲しくて悔しくて、意味わかんなくて。
小さな舞台に立つ2人も、大きな舞台に立つ2人も観てきました。
たくさんの、コントも漫才も観ました。
様々なシーンが頭の中に溢れて、最終的には、好きになれてよかったなあって思いました。

芸人としての2人に惚れています。
どうか、どうかその才を枯らさず、芸人人生を生きてください。
言われなくても大丈夫だよね、信じてます。

感謝でいっぱい。竹内ズ、ありがとう。

最後までよろしくね。

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