信頼って…?友情って…?(2)
⇧の続きなので読んでいない方はぜひ…🪽
半年間も片想いしていて私がなぜそれまでは伝えられなかったのに、このタイミングで伝えようと思ったのか。
それは、片想いしていた期間ずっと相談に乗ってくれてた子から突然、宣戦布告をされたから。
「一緒に駅まで帰ろ〜」と誘ってくれた日、待ち受けていたのは「私も◯◯のこと、好きになってしまったんだよね。」というコトバ。
《あれ、私、ドラマの世界にでも入り込んじゃったのかな?》と錯覚に陥りそうな感覚だった。
その子にとったら、傍から見たら、
は自分じゃないから分からないけど
私からしたら、味方でいてくれた子にいきなり突き放された気分。
高校生の時に「お前は人のことを信頼しすぎ。」と男友達から言われた瞬間を走馬灯のように思い出して、《ヒトって怖いな、》と久々に感じた。
言わずもがな、その子との関係性はご想像にお任せします。
ただ、やっぱり「信頼」ってなんだろう。「信じる」ってなんなんだろう。と考えさせてもらえる機会ではあった。
noteで発信をされているみなさんならご存知のコトバかもしれませんが
《信じる》ということに対して年上ながらも感銘を受けたコトバがあります。
そうです、芦田愛菜さんのコトバです。
私はその半年間、彼女の「私は◯◯ちゃんがめっちゃいい子だからこそ、めちゃくちゃ味方だよ。」のコトバに全信頼を置いて、頼らせてもらってた。
且つ、こういう状況になったからといって《裏切られた…ムカつく…!》などという感情になるかと言われると、半年間相談に乗ってもらっていた過去があるから、私はすぐさま《もう良いや、この子》となることもさらさらなかった。
でも、本当にそうなのか?自分。強がってるんじゃないか?自分。と向き合った時に
物理的には不可能だけど、諸々の関係性や状況を跳ね除けて良いとなる状態なのであれば
感じることは「許せないし、出来ることならもう関わりたくない。けど、恨まない。」ってこと。
結局、自己開示することが好きな自分にとっては
相手ありきの人生だから、疑う。頼らない。信頼しない。などということは到底難しい話。
だったら、起きた出来事がいずれ笑い話になるくらい、時間が解決してくれるのを待って、それまでは、1番表ある感情だけに正直に生きようと思った。
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