ディグ・モードvol.74「ボラ アクス(BORA AKSU)」
ボラ アクス(BORA AKSU)は、2002年にトルコ出身デザイナーのボラ・アクス(Bora Aksu)が設立したロンドン拠点のファッション ブランド。母親のファッション センスに影響を受けたデザイナーは、ロマンティックな感性と素朴なエレガンスを融合させながら、すべてが調和するようにデザインのバランスを意識してコレクションを制作している。
クリエイティブな母親が着想源
トルコ、イスミールで医者の両親のもと生まれ育ったボラは、人形を集めたり、女性のイラストを描いたりして幼少期を過ごした。そのほとんどは彼の母親と叔母がモデルとなっており、ボラは服、ヘアスタイル、靴など彼女たちのファッション センスを描いた。彼は絵を描くことで自分の世界を築き、ファッションを観察しながらそこに密かな憧れを抱いてきた。
ボラにとって、母親は現在でも大きなインスピレーション源だ。自分の人生を切り開くために常に困難なキャリアを追求してきた強さだけでなく、彼女のクリエイティブな部分やファッションセンスも、彼自身に大きなものを植え付けたとボラは確信している。
彼女は非常に勤勉な母親であると同時に、自分のスタイルがどうあるべきかについての強いビジョンも持っていた。当時、着たい服が店頭に無かったため、彼女は編み方を学び自分でスカートやドレスを作った。母親はいつでもクリエイティブだったが、彼女の創造性は医師としてのアイデンティティの背後にほとんど隠されていたとボラは説明する。
「家族のアルバムを見ると、母がいかにスタイリッシュであるかが分かり、成長するにつれて、ファッションに関するアイデアの発端は母であることに気づきました。彼女の着こなしを観察することで、そのスタイルを捉えたくなりました」とボラは『A SHADED VIEW ON FASHION』で語っている。
CSMで自分のデザイン哲学を発見
ボラはセントラル セント マーチンズ(Central Saint Martins、以下CSM)で学ぶためにロンドンに移った。学士号を取得した後、彼は1年間休暇を取り、ゴースト(GHOST)で働いた。その後、修士号を取得するために再びCSMに戻り、影響力のあるファッションの教授のひとりであるルイーズ・ウィルソン(Louise Wilson)のもとで学んだ。
彼女の指導により、ボラは自身のデザイン哲学をCSMで見つけ、それを発展させた。すべてメンターのおかげだと振り返る彼は、「彼女は親切な人だった」と『LONDONR』で語っている。修士号を取得した後、2002年に彼は自身の名を冠したブランドを設立した。
ロマンティックな感性と素朴なエレガンスを融合
デザイナーとしてのボラの目標は、自分の言語で美を追求し、定義することであり、彼にとって最も重要なツールは女性のフォルムだ。自身を「不治のロマンチスト」と説明する彼のデザイン美学は、ロマンティックな感性と素朴なエレガンスを融合させることにある。
デザイナーはコレクションを通して物語を語ることを好み、ストーリーに基づいたコレクションを開発している。ファブリック、テクスチャ、コントラストでさえ、ボラにはストーリーテリングの要素になる。繊細な質感の生地や気まぐれなディテールは、テーラリングのひねりによって支えられ、不完全さのある美しさを生み出している。
デザインはバランスが重要
ボラにとってファッション デザインとは、外の世界とのコミュニケーションを可能にする視覚言語を意味する。彼はデザインを通して常にバランスを探求し、生地の質感、重量、構造など全てが調和して機能する特定のポイントを見つけることを重んじている。そのため、デザイナーはコレクションのデザインを完成させるまでに、長い時間をかけて実験している。
クリエイティブとコマーシャルの適切なバランスを見つけることも、ボラが毎シーズン取り組んでいることのひとつだ。それはグローバルなブランド ビジョンを定義するための鍵であり、最も難しいことだとデザイナーは説明する。
「ほとんどの場合、それは頭と心の間の議論です。心はクリエイティブな爆発にあるので、デザインの商業的側面は気にしません。さまざまな責任を負い、絶え間なくフィードバックを提供してくれる、信頼できるプロのチームと協力することも非常に重要だと思います」とデザイナーは『A SHADED VIEW ON FASHION』で語っている。
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