推しの幸せを願う言葉に隠された本音
皆さんは推しの幸せを願ったことはありますか?
私はあります。
推しの誕生日を祝う時、「〇〇君が幸せで過ごせますように」とかツイートしたことあるし、何かある度に「絶対幸せになって!」とかもよく言っている。
でも、オタクが推しの幸せを願うそれらの言葉は、本当に推しの幸せを願う気持ちだけ込められた純粋なものなのだろうか。
「推しは幸せになってほしい」という言葉には、
「推しに幸せになってほしい」の後に
「私を幸せにして欲しい」
という本音が隠されているのではないかと最近思うようになった。
私がそう思うようになったのはジュニアを推すようになってから。特に今年9月に、私の好きなグループであるHiHi Jetsからメンバーが1人脱退・退所したことがきっかけである。
この出来事を境に現ジュニアグループの解体説が噂されるようになった。どこの誰が言い出したかも分からないような噂話に一喜一憂するのは、率直に馬鹿だなと思う。しかし、ニューヨークで撮影した写真集の組み合わせや、年明けにあるコンサートの出演者の書き方など解体説を裏付けるような状況証拠ばかりが集まっていく。
そのような状況の中で私はHiHi Jetsの今後を心配しながらも、私は"HiHi Jets"という自分の楽しみがなくなってしまうのではないかと心配していることに気づいた。
日頃のささやかな楽しみから非日常的な楽しみまで、アイドルに頼っている社会人(私)にとって、彼らに何かしらの変化が生じることは死活問題である。HiHi Jetsだけでなく各界隈にいる私の推し達に言えることだが、メンバーの脱退や解散、スキャンダルなどによって、これまで通り活動ができなくなることは、私が好きなものを好きでいられなくなることを意味する。これが私にとってはとてもきつい。
というのも、わたしは自分の現実が辛くなるのとに比例して、趣味への依存度が高くなる現実逃避型人間だという自負がある。今の私にとってアイドルは杖のような存在とも言えるだろう。少し大袈裟だが、杖があることでスタスタと現代社会という道を歩けているような状態。この歳になってもアイドルに頼って生きている私の情けなさは一旦置いておいて、この状態で杖が折れてしまったら私は頼るところがなくなる。
HiHi Jetsが HiHi JetsとしてYouTubeを更新しれくれないと困るし、今は4人になってしまったけどあの飾らないわちゃわちゃした掛け合いが見れなくなるのは困るし、やたらと最前線にこだわっているオリ曲が聞けなくなるのは困る。いつかのライブの挨拶でガリさんが、「これからも僕たちを使って皆さんの人生を彩ってください」と言っていた通り、これからHiHi Jetsを沢山使って私の人生を楽しくする予定だったのに、それが狂ってしまうじゃないか。
そう、だから推したちには幸せでいてくれないと困るのだ。
ただし、注意すべきなのは、ここで言う"幸せ"とは"私が考える推しの幸せ"であって、"推し本人が考える幸せ"とは必ずしもイコールではないという点。
推し自身は将来家庭を持つことを幸せと考えていたとして、でもそれは殆どのオタクが描く"推しの幸せ"ではないのが良い例だと思う。ここは自戒のためにも補足しておきたい。
少し話を戻すが、
推しの幸せを願う言葉は、推しの幸せを願いながらも、同時に自分の幸せを願っているものだと思う。
勿論、純粋な気持ちで推しの幸せを願っている人も沢山いるだろう。
しかし、私は違う。
以前のnoteでも書いたことがあるが、私は自分の生活を楽しくするために推しを利用しているというスタンスである。心清らかなオタクじゃなくてごめん…
ジュニアなのに冠ラジオと番組を持っていて、オタクはデビュー組並みのタイトルを持っておきながら何故デビューできないんだ?と思いながらも、それが自慢だったのに。それらが終わることが発表された今、HiHi Jetsと自分の今後をこれまで以上に心配している私がいる。さらに加速する解体説が流れるタイムラインを指でスクロールしながら、どうかこれがオタクの取り越し苦労であることを切に願っている。
(いや、まじでメンバー固定で5年以上活動させておいて今更解体とか誰が得するんだよ…こうやって若いアイドルの卵とそのファンも振り回すのがエンタメなのか…?)
1年後、このnoteを読んだ私はどう思うだろうか。
「馬鹿なこと書いてるな私」って思いたい。
どうか、思わせてくれ…