![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/43828504/rectangle_large_type_2_25a57482add53f996938084f3aec9f7e.jpeg?width=1200)
アクターズ・ショート・フィルム『GET SET GO』ネタバレ考察
津田健次郎さん監督作品『GET SET GO』を観て読み取ったり、深読みしすぎたことを羅列していきます。ふんだんにネタバレを含みます。
慶 (演−竜星涼)
ビルの屋上でホームレスをしている。
屋上から飛び降りようとしたところ、隼人に止められる。
慶の「死にたい理由」について
慶が死を選ぼうとする理由が読み取れる、彼のセリフを抜粋します。
「親、いなくなったんで」
──
「生きる理由がないんです」
「もう誰もいないから!」
──
「帰り道がわからなくなったんです」
慶は「自分の帰る場所・自分を待つ人がない」と感じていて、そのために死を選ぼうとします。
しかし、死に対する本能的な恐怖は残っている様子です。
生きる本能や自らに生じる感覚を遮断することに努めているかのような言動は、それらが「自分を死から引きとめるもの」だからでしょう。
「味しないんで」
「いつも味しないから」
──
「もう何も見たくない」
──
「溢れてきて困ります。混乱します。嫌なんです。何も感じたくない。ただ僕は…透明になりたい」
隼人 (演−大東駿介)
慶の自殺を止める。
「どうせ死んでるようなもんだろ」と慶を諭し、刺激に飢えた道楽家が主催するロシアンルーレット賭場への参加を持ちかける。
隼人の生い立ちについて
「ド貧乏」に育ち、母親が大食い大会で死ぬ。
(大食い大会でというのは冗談かもしれないが、死んだことは確かだろう。)
フラッと現れた義理の父親がオカマになる。
義父にオムライス(カマライス)を振る舞われる。
それがクセになり、ケチャップをいつも持ち歩くようになる。→「思春期の味」
屈折し、歌舞伎町の「おねえさん」のヒモになる。
「おねえさん」はヤクザの愛人だったので、落とし前として「思春期」と腕に彫られてしまう。
病か何かで、余命が儚い模様。
想像:
おそらく借金もあるのではないか。
そのためにロシアンルーレット仲介という裏社会の仕事をしているのでは。
金がないと病を治すのは難しい。
金がなければオーロラも見に行けません。
隼人の持つメモ帳について
「絶対にやっておかなきゃなんねえこと」が書いてある。
・オムライス
・キャッチボール
・生かす
オカマの写真が挟まっている。
オカマについて
隼人の持つメモ帳を書いた主。
隼人の義父。
慶の父親。
「慶を迎えに行けなくてすまなかった」と隼人に言い残した。
想像:
彼がやるつもりだったであろう「絶対やっておかなきゃなんねえこと」を、隼人が肩代わりしています。
おそらくこの世を去っているか、それがままならない状態にあるのでしょう。
隼人の目的について
オカマの代わりに、メモに書いてあることを慶にしてやることです。
隼人は慶にオムライスを振る舞い、一緒にキャッチボールをし、生を放棄しようとするその心を引きとめます。
隼人がいきなり女装した理由
隼人が着ているのはオカマの服です。
オカマの姿になることで、「隼人がオムライスを振る舞った」のではなく、「慶の父がカマライスを振る舞った」ということにしたかったのでしょう。
「ごめんとっちゃって」というセリフについて
まず、隼人が残り少ない時間を消費してまで、オカマの肩代わりをしている理由はなんでしょうか。
オカマへの感謝の念もあるのでしょうし、「慶への贖罪」という面もあることが、この「ごめんとっちゃって」というセリフから伝わります。
隼人の余命は儚いということが、具合の悪そうな雰囲気以外からも読み取れます。
彼には「生きているだけで知覚できる刺激」すら美しいと思えるほど、生きることへの執着があります。
死が近いからこそ、生きていることの美しさ、素晴らしさ、ありがたさを強く認識できるのでしょう。
「オーロラを見たい」という夢だってあるのです。
「俺なんか何食っても美味いけどな。生きてるって感じするし」
「生きられるだけ生きてえよ」
「オーロラ。オーロラ見たいんだよ。あ無理か」
「呼吸…。衣ずれ…。風の音…。鼓動…。…美しいなあ…」
そんな隼人からすれば、簡単に命を投げ出そうとする慶のことは羨ましく腹立たしい存在のはずです。
しかし、慶がそうなった理由の根幹には、親がいなくなったという原体験があるのです。
慶の元からいなくなった親は、隼人のところにやってきました。
「ごめんとっちゃって」という言葉は「ごめん(家族を)奪っちゃって」という意味なのだと思います。
隼人「お前んちは?なんか、美味いもんとか」
慶(オムライスの『是』を潰す)
隼人「無口だな〜お前は」
慶「親」
隼人「え?」
慶「いなくなったんで」
隼人「そっか、(気まずそうに)そうだよね…」
慶(怪訝そうな顔)
隼人の感情のフロー考察:
まだ俺は死にたくない
↓
生きられるのに死にたがる慶に腹が立つ
↓
でも、慶がそうなったのは親がいなくなったからなんだよな
↓
その親は俺のところに来たんだよな
↓
ということは、俺も親が来なかったら慶みたいになってたかもしれないな
↓
俺が「死にたくない」って思えるのは、なんだかんだで親がいたからなのかもしれないな
↓
ごめん奪っちゃって
踏切の向こうの女について
おそらく慶の恋人/妻。
慶が大荷物を持っているので、関係を解消して別居するシーンでしょうか。
鉄道自殺?
女は線路の上にいるのか、踏切の外側にいるのか、絶妙に判別しにくい映像となっています。
ロシアンルーレットという、緊張感のあるシーンからのフラッシュバックなので、思わず死を彷彿としてしまいますが、そうとも限りません。
列車が通って別れ際の言葉が聞こえなかった瞬間でしかないとも、恋人が自殺してしまった瞬間とも、どちらにも捉えられます。
どちらにせよ物語のテーマは成立するので答えは出しません。
(初見では、慶の母が夫に捨てられたために自殺をしたシーンかと思ってしまいました。
しかし慶は大学生以上に見えます。だとすると母にしては年が若い。
また、慶が女のことを「あいつ」と、対等の立場に感じられる呼び方をしていることから考え直しました。)
『GET SET GO』(よーい、どん)というタイトル
レースの際に使うスターターピストルと、ロシアンルーレットで使うピストルを掛けているタイトルです。
慶は引き金を易々と引いているように見えます。
しかし、彼にはしっかりと生への執着が残っています。
飛び降りかけた時だって体は恐怖を感じていました。
引き金を引く前には気を紛らわすための会話を求めますし、感覚が溢れてしまうことを発言しています。
ピストルの撃鉄が降りるたびに、慶は生きるというレースに戻りかけています。
一発目の前:
慶「面白い話ないです?」
隼人「は?」
慶「気が紛れます」
二発目の前:
慶「溢れてきて困ります。混乱します。嫌なんです。何も感じたくない。ただ僕は…透明になりたい」
人生は個人レースです。
人によってコースも違うし、ゴールテープまでの距離も違います。
慶は帰り道<コース>がわからなくなってしまって、レースをリタイアしてしまうところでした。
三発目で「生きたいな…」と自覚し、女が告げた「待ってる」という言葉に辿り着きます。
ラストで慶と隼人は「よーい、どん」をし直して、それぞれのコースへと戻ります。
慶は「明るい方」へ。
隼人は「暗い方」へ、オーロラを目指します。
「待ってる」という言葉
慶はこの言葉から、自分にはまだ帰り道があったことを知ります。
前述した、踏切の向こうの女の生死によって、「帰り道」の意味が若干変わります。
別れただけ:女の元へと行く「帰り道」。
死亡している:死ぬまで生きることを全うして、それから女の元に逝く「帰り道」。
慶の感覚と生の執着が復活するまでの流れ
1. ケチャップをかけたオムライスを食べて、父の作ったオムライスの味を思い出す。
オムライスを口にして:
慶(驚いたように)「…これ…」
2. ロシアンルーレットで生への執着を呼び起こす。
3. 隼人に感覚の再意識をさせられる。
慶「溢れてきて困ります。混乱します。嫌なんです。何も感じたくない。ただ僕は…透明になりたい」
──
隼人「耳を澄ませ。聞こえるか。」
慶「え?」
隼人「呼吸…。衣ずれ…。風の音…。鼓動…。…美しいなあ…。透明になんかなれねえ。生きてるんだ。死ぬまでは生きろ。」
4. 生きたいのに死んだ隼人(死んでないが)を目の当たりにして、ついに「生きたいな…」と自覚する。
ロシアンルーレットは隼人による、慶を生かす(生きたいと思わせる)ための大仕掛けだったのです。
(奪った金はちゃっかりオーロラ見にいく代にしたでしょうね。)
電話で交わす「ただいま」と「おかえり」
普通なら電話で「ただいま」「おかえり」の挨拶をするのはおかしいことです。
慶の「ただいま」は「『生きる』という行為に戻ってきたよ」の「ただいま」でしょう。
前述した、踏切の向こうの女の生死によって印象が変わります。
このやりとりは音声だけで表現され、慶が電話をしている姿は確認できません。
テレフォンノイズがかかった声=この世にいないことの表現ともとれる気がするのです。
この作品の「生きる」という言葉の意味は何か
「生きる」ということはただ「死に向かうこと」ではありません。
しかし、「立ち止まること」でもありません。
「死ぬまで『何か』に向かうこと」であると、この作品は伝えようとしています。
その『何か』とは「明るい方」であったり、「オーロラ」であったり。
待つ人へと向かう「帰り道」を行くことは、立派に「生きる」ということなのです。
慶「帰り道がわからなくなったんです」
隼人「自分ちの?」
慶「はい」
隼人「思い出せるよ。多分。」
慶「もういいんです。」
隼人「なんか…。明るい方に行けばいいじゃないか」
隼人「オーロラ見てくるわ」
慶「ああ」
隼人「お前は?」
慶「帰る道を思い出しました」
隼人「そっか」
『オーロラ』について
隼人は「明るい方へ行けばいいじゃないか」という言葉で、慶に生きることを促しています。
つまり、逆に言えば「暗い方=死」を表しています。
隼人は暗い方に行くしかありません。
それでも明るいものを見たがっています。
オーロラは暗いところで光るものです。
たとえ行く先は暗い方でも、隼人はちゃんと「死ぬまで生きる」ということを実行しています。
『思春期』について
この作品では、モラトリアム期のことを指していると思われます。
ここにいる人間は、何者になるか・何処に行くかを決定しなくていい猶予が与えられています。
慶は停滞しています。
自分の帰り道に戻れず、死も果たせず、苦しいモラトリアムの中にいる状態です。
立ち止まって目的地を探しています。
逆に、隼人は停滞できない状態にあります。
隼人は死が差し迫っているからこそ、停滞したいのです。
立ち止まり、モラトリアム期に戻りたいのです。
隼人「寒いな…。春になんないかな」
この「春」とは、「思春期=モラトリアム期」のことを指しているとも読み取れます。
オムライスの『是』について
肯定・善・正・道理といった、ポジティブな概念を表していると思われます。
慶はそれをスプーンになすりつけて消してしまいます。
生きることに対してポジティブなのが隼人で、ネガティブなのが慶です。
また、隼人の「慶の家の美味いもんは何か」という質問に対しての「是(これ)がそうである」と示唆する表現にあたるかもしれません。
隼人「お前んちは?なんか、美味いもんとか」
慶(オムライスの『是』を潰す)
──
オムライスを口にして:
慶(驚いたように)「…これ…」
『傷を負った鳩』について
慶の状態を表しています。
動かない鳩は冒頭の「死んでるようなもん」の慶。
ロシアンルーレット中の慶が死の恐怖(生への執着)を抱くと、鳩の羽ばたきの音が聞こえます。
慶が「生きたい」とはっきりと自覚すると鳩の飛ぶ姿が映ります。
『揺れるライト』について
慶が「明るい方(リビドー)」↔︎「暗い方(タナトス)」で揺れていることのメタファーかと思われます
『止まった時計』について
モラトリアム期のメタファーかと思われます。
慶が帰り道を思い出し、進むことを決めると動き出します。
『925』を観た津田ファンにとっては「この物語は走馬灯なのでは」と思わせるミスリードとなっています(笑)。
果たして「これ、走馬灯だったのか」?
慶が飛び降りる瞬間に見たものが、作品の物語とリンクしています。
1. ピストルで遊ぶ少年 → ロシアンルーレット
2. キャッチボールをする青年 → 慶と隼人のキャッチボール
3. 吐くおっさん(津田さん) → 咳き込む隼人
この符合が見事すぎる上、ロシアンルーレット賭場という非現実的な状況のために、慶も視聴者も「これらが影響した走馬灯だったのか」と思わせられます。
『925』との共通点も多いので、こちらを観たことのある視聴者は余計ミスリードされる仕掛けになっています。
だがそうではなく、しっかり現実だったという意外性のある物語になっています。
『紙を食べる』
津田さんは紙を食べちゃうギャグが好きなんです(笑)。
紙を破くか食べるかするラジオ番組をやっています。
ロシアンルーレット道楽家について
隼人とは初対面ではなく、何度か仲介されていると思われます。
「貴方という人は、最低で、最高です」
このセリフは隼人が「俺がやる」と行動したことに対してだけでなく、以前から彼に期待をかけていることを感じられます。
キャラクター性はタランティーノ映画リスペクトかな…。
「ああ勿体無い!」は「暗くて死ぬところが見れなかったー!勿体無い!」の意味でしょう。クソ変態です。
過去の津田健次郎脚本作品との類似点
津田健次郎 PROJECT 『925』
・自殺
・ホームレス
・革ジャン柄シャツ
・タバコ
・止まった時計
・オカマ
・走馬灯
・鳩が「見る前に跳べ」状態
・吐いてる津田さん(笑)
『叫べども叫べども、この夜の涯て』
・飛び降り自殺
・ホームレス
・余命の儚い人物
・女装
・吐いてる津田さん(笑)
津田さんの作品は生きることが上手くできない人間が描かれます。
死を選ぼうとする「人の心の動き」自体は否定しません。
そして、そんな人も「それでも生きたい」という心もちゃんと持っていることを描いてくれます。
『925』では、「たとえ残り1分間でも自分として生きたい」という男の潜在意識の叫びを。
『叫べども〜』では、上手く生きられず、絶望の中にいても笑える自分に気づけた男の救済を。
今作『GET SET GO』では、生きる理由が分からなくなった男の復活劇を届けてくれました。
津田さんの手がける作品は、ビジュアルや設定が尖っていて、シュールでシャープでダークな印象を受けます。
その実、苦しみを抱えた人に寄り添い、暗い中で小さな灯火を与えるように、希望を感じるシナリオを届けてくれます。
そんな作風に津田さんの人柄をしみじみと感じます。