3月26日観劇 Volksbühne: Das Leben ein Traum
チケットは完売ではなかったので、開演2時間ほど前にオンラインで購入できた。
"La vida es sueño" 人生は夢 Pedro Calderón de la Barca
監督:Clemens Maria Schönborn
10分前に席に着くと、舞台はボックステレビとソファーが配置されたリビングルーム。テレビにはロシアxドイツのアイスホッケーの試合(ループされていた?)が流されていた。客席から画面は見えなかった。
開演。
舞台転換されるとリビングルーム上部には白い円盤舞台。奥行きのある空虚な空間が広がった。
俳優(父Basilius役:Silvia Rieger 、息子Sigismund 役: Sophie Rois)の声色、セリフの明瞭さ、ダイナミクスに圧巻。
ドイツが舞台かと思ったが、どうやらポーランドのよう。
王位継承を狙うSigismundのいとこ2人、その恋人(ファンクな感じで面白かった)が登場した。
観劇前に作品についてサッとあらすじを読み、内容を予習したが、そこから感じたドラマチックさ、人生とは、人間とは、本質とは、などという深い問いや教えのようなものは劇中からは特に直接的に感じられなかった。
人間らしさ、はよく映し出されている、と感じた。
初め圧倒された俳優の発声は途中から、ほとんどが繰り返しのようで、「なぜこんなに叫んでいるのだろう」と意味の伝達が少し空洞化してしまった。しかしそれは私がドイツ語を完全に理解できれば何か違うのかもしれない。
音楽の使い方はあまり好きではなかったな…
カントリー調の西洋音楽、途切れ途切れ、突如大音量で始まる効果音的な音楽にあまりセンスを感じられなかったが、その「ダサさ」が狙いなのかもしれない。
父と息子が食事をする前の場面で、Sigiは座り込み、語りかけるようなセリフ、そして瞑想をするかのように黙り込んでしまった。3分ほどだっただろうか。予期せぬ沈黙は面白かった。舞台に集中する観客、沈黙こそ観客の集中力が試される。
二日酔い、大麻でハイ
「こういう人電車や駅でよく見る」と思った。
やりたい放題する=自由なのか、そうした結果それを「夢」だということにできるのか。私たちはその結末から何を受け取ると予想したのか…気になる。
5人全員が最初のリビングルームに集まり、ソファーにくっついて座りボックステレビを観る場面で終演する。Basiliusが格言を言ったり、ニーチェの「ディオニュソスのディティラム」を口にしたり、冗談を言ったりしていた。観客は笑っていた。
そしてその流れを2回繰り返した。
通して中途半端さがあり、明白じゃなかったのも面白かった。「ダサさ」「意味不明さ」そこから何を感じるか。このような演出作品は「パロディ」というのか。疑問。
メモ:「パロディ」とは批判や揶揄、風刺を目的に模倣しているため、元作品がわからないと見る側には理解されない。
シンプルな小道具、より効果的になり引き立つ影。
円盤舞台を奥に向かって斜め上に持ち上げることによって、より奥行きとレイヤーが生まれる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?