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愛とは何だ


この1文字だけに、どれだけの想いが込められているのだろうか。

それがどれ程深く、永く続いているものか。

心の物差しでは測れないような形ないもの。
正直言うと、書き言葉で見える形に現しているものは全て、真実の愛では無いのではないか?とも感じてしまう。

50年分の愛、高橋幸宏

今日は高橋幸宏さんの50周年を祝うライブに足を運んだ。
ライブの感想を述べると脱線しまくってしまうため、此処では自重しておく。

最幸でした…!


NHKホールに居た観客、演者ともに、高橋幸宏さんへの「愛」を胸にこの日を待ち望んでいたことだろう。
闘病中であった主役の出演は叶わなかった分、彼に影響を受けたり、彼と共に音楽を作り出してきた名だたるアーティストが愛を表現していた。


そんな演者の中でも、愛のかたちは人それぞれ。
木村カエラのように、21世紀を迎えてから彼との関わりができた方も居れば細野晴臣やSteve Jansenのように、私が産まれる何十年も前から共に音を奏で続けてきた方も居る。

それはファンも一緒。
YMOの躍進をリアルタイムで見届けてきた大人の方から、私のようにMETAFIVEを数年前に見つけてハマった人まで、出会った時期も愛の深さも人それぞれなのである。

もちろん、私の愛はまだまだ浅い。
ただ、浅いからといって悪い、という訳ではないと考えている。
愛とは、各々の心で完結するもので
決して測るためにある訳ではないのだから。

アイドルへの愛だって

アイドルへの愛だって、本来は各々の心で完結するものであるはず。

しかし
・活動期間が限られた儚いものであること
・ヲタク各々が持つ"独占欲"
のせいで、それぞれが虚勢を張っているかのように愛を測り出してしまうシーンも散見される。

 DDの場合はどうなのかは分からないが
ヲタク各々の中では"推し"を最も愛しているだろう。
その時点で順位も何も無い。
通う頻度がどうであれ、皆「1位タイ」なのである。
(もちろん、沢山通っている人ほど、その愛のかたちが目で見える姿に現れてくるのは事実。可視化できる「深さ」も見ていて美しいのだが、それは人と比べるものではないよ!ということで此処ではあまり述べない。)

本題:私と伊藤詩乃との「愛」

さて、ご存知の通り私の主現場は
「Malcolm Mask McLaren」である。
9月19日に7周年ライブを行うメロコア系のアイドルで(下にチケットリンクを貼っておく。全員集合!)私は2019年の暮れに魅力に気づいてしまった。沼の始まりってヤツ。

https://ticketvillage.jp/tickets/1578

とは言うものの、始めは伊藤詩乃が最推しではなかった。正直、2020年上半期までは他グループのモチベーションの方が高かった。

ただ、徐々に、ゆっくりと。
彼女の魅力に惹き込まれていき、いつの間にか「さとれんの1番!」が彼女になっていた。
2年9ヶ月。
今までで最も長く通い続けたアイドルとなっている。

そんな私の愛の深さは、他人には見えないようなものである気がしている。
私が彼女を推す上でのスタイルが「軽く、そして長く」であることも背景だろうか。

それでも私は、彼女への想い入れは過去に推してきたどのアイドルよりも深いと自負している。

「大好きなの?」と私の愛に疑いを持たれていた大DD時代の思い出。私の恋バナを聞いてちょっとムッてなっている姿。藤崎ももの卒業公演で「私ね、メンヘラなの。私の愛は重いの……!」と語られたことなどなど……。
思い出はいっぱい。
心の中で綴じられているアルバムの1ページ1ページが、誰よりも濃いような感覚があるのだ。

他人から見ると浅く、自らでは深く感じる。
そんな今の関係性が私は好きだ。
詩乃ちゃんから見ても浅かれど、
私は今の関係性に満足している。
自己満足ってやつかもしれないが、それで良い。
他愛もない話でゲラゲラ笑い続けられる存在を、過去の私も、今の私も、そして未来の私も欲しがっている。
その対象が「伊藤詩乃」なのだろう。

友達だけでなくて、少し違う世界を生きている人。そういった人に話すことで、夢の世界に少し入ったような、ちょっとした非日常を味わえている気がするのである。(私が生きる世界を3次元とするならば、アイドルの世界は2.7次元くらいに位置すると考えている、なんとなく。)

詩乃ちゃんの寄り目、1番好き。

文の前半、高橋幸宏の50周年ライブに触れたのには理由がある。それは、伊藤詩乃と、出来ればMalcolm Mask McLarenの50周年を祝ってみたい。そんな思いがあるからだ。

「アイドルに永遠は無い」そんな言葉を覆して欲しい。Negiccoというアイドルがメンバー全員が既婚者となっても元気に活動し続けているように、Malcolm Mask McLarenも、私の、そしてメンバーの人生を常に照らし続けるランプのような存在であり続けて欲しいのだ。

私が来年から青森へ行き、自らが編み出すコンテンツのことばかり考えている間に、物理的な距離感は必ず離れてしまう。ただ、心理的な距離感だけはこのままでいたい、というワガママをさせて欲しい。
ゆるーく、長く。推させておくれ。

例え離れ離れになろうとも変わらない、誰にも測りえないもの。それが愛なのだから。


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