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なつのおもひで
気がつくと知らん顔して夏は始まっている。
分厚い雲をしょい込み、家々の押し入れに潜んでいた扇風機一台一台をくまなく引っ張りだし、もたげた首を横に振らせる。
夏の記憶、と聞けば私は幼い頃の夏休みを思い出す。今の小学生はあまりに暑くて公園で遊べず、冷房の効いた部屋のなかで友達と通信しながらゲームなどして笑っているらしい。
思えば、私が小学生だった頃、毎年とある友人と、親同士が連れ立って出掛けていた。
恒例行事というわけではなかったが、やめる理由もなくその日は決められていた。
広い公園や小さな宇宙博物館のようなところへ行って遊ぶ。
喧嘩をしたり、アイスを食べたり、館内を走り回って怒られたりしながら、長い夏休みの中の1日を過ごした。
大人になった今、ふと気がつけばあの毎年の行事と化していた1日が消えて無くなっていたことに気付く。
もしかしたらどちらかが忙しくなったとか、あるいは親も大変だからそっと消滅させたのかもしれない。
その終わりに私は全く気が付かなかった。
その友人と宇宙博物館に行ったとき、小さな球体のなかでプラネタリウムを見た。ひんやりとした屋内の暗い空間に、あたり一面銀河が広がった。それを見上げる顔ひとつひとつは、まるで世界を初めてみる赤ちゃんのようで、眼は星のように輝いていた。人間は星と星をつないで物語や生き物を視ていた。
今の子どもたちの夏の思い出はなんだろう。この陽射しでは日中外遊びをするのは危険かもしれない。
プラネタリウムにでも行って、星の物語と生命の不思議に思わず口を空けて見上げる、そんな1日があってもいいんじゃないだろうか。