ただ、自分のために言葉を紡ぐ。
私は日本語が好きだ。
英語すら話せない人間だから「他の国の言葉と比べて特にココが素敵!」なんて、うまく言語化することはできないけれど、何だか好きなのだ。
昔から、洋楽より邦楽が好きだし、洋画より邦画が好き。
ただ、文章を書くことに対して、なんとなく苦手意識があった。
嫌いなわけではない。
むしろ、書くのは結構好き。
思い返せば、メールは好きだった。
今でこそ、長文メールなんて送らないけれど、いわゆる青春時代は、誕生日なんかに彼氏や友達に思いの丈をぶつけるために長文メールを送ったものだ。
(私の青春時代にLINEはなかった)
どんな言葉を使ったら、私のこの気持ちが大切な人に真っ直ぐ届くだろう、、、そんなことを考えながら言葉を綴るのは、心地良い時間だった。
じゃあ、私は文章の何が苦手なんだっけ・・・。
そんなことを考えていたら、思い出した。
小学校2年生の頃、母に言われるがまま、読書感想文をすべて書き直したことを。
母は小学校の先生だった。
専門は国語。
その当時は真夜中までかかって、ほぼ誘導尋問のように、私の口と手は、母が思う「正解」の文章を作り上げた。
そして、その読書感想文は地区のコンクールで最優秀賞を取った。
何も嬉しくなかった。
全部書き直しをさせられるなんて、私って文章を書くのが本当に下手なんだな・・・子ども心にそんな風に思った気がする。
この思い出は、私が文章が苦手だと思うのに十分な理由だったと思う。
そうか・・・私は、誰かから批判されるのを気にして、苦手だと思っているんだ。
でも、それなら、自分だけの日記でも書けば良いようなものだけれど、日記は本当に続かない。
三日坊主を尊敬するほどに続かないのだ。
こうやってnoteを書きたいと思うということは・・・。
批判されるのは怖いけれど、誰かに読んでほしい。
そんな矛盾した思いが私の中にあるということ。
我ながら、つくづく面倒くさい人間だ。
自意識過剰で恥ずかしいけれど、変にまわりからの見え方を気にして、noteも途中まで書いてやめたり、1回公開したのに下書きに戻したりすることがよくあって。
役に立つネタを考えてみたり、少しでも興味を持ってもらえる表現を考えたりしていた。
結局、そんな調子だから書けないんだ。
「自分が書きたいこと」よりも「書いた方が良さそうなこと」ばかり考えて、まわりの評価を気にするから、書くことが好きな気持ちよりも苦手な気持ちが上回る。
別に文章が下手だって、誰にも共感してもらえなくたって、いいじゃないか。
どこまでも、わがままに。
書きたいことを書きたいように。
ただ、自分のためだけに書く。
誰かに読んでほしい、その気持ちを今はそっとしまって、書きたい気持ちだけを大切にしよう。