初めてできた親友は、「思慮深い」という言葉がピッタリな人。
いわゆるアラフォーと呼ばれる年齢に差し掛かって、たぶん生まれて初めて「親友」と呼びたい友達ができた。
5年くらい前に、あるコミュニティで知り合った1つ年下のMちゃん。
2〜3ヶ月に1回、近所のスターバックスで1杯の飲み物で3時間くらい喋り倒す。
それでも、話し足りないんだけれど、お互い何かと忙しいので、名残惜しさを残して別れる。
頻繁に連絡を取り合ったりはしない。
そんな距離感が心地良い。
これまでも友達はいたけれど、なんとなく感性が合わなくて、会うと疲れたり、なんとなく違和感を覚えたりすることが多かった。
だから、寂しがりのくせに、結局1人が楽だった。
感性が合わないと感じる原因は、たぶん私の「考えすぎる」ところ。
考えすぎると言っても、心配性とは違う。
どうやら私は、1つの物事に対して、まわりの人からすると「そこまで考えなくても」っていうところまで考えているらしい。
だから、まわりの人に自分の考えを話しても、手応えがない。
意見が違うとかではなく、たぶん相手にとってはピンと来ていなくてスルーされている感じ。
ずっと、なんとなく、そんな寂しさを感じていたから、Mちゃんとの出会いは私にとって特別だった。
これまで、考えすぎなのかな・・・と思っていたことが、Mちゃんとはそんなこと全く感じずに話せる。
同じ思考の深さで会話できている感じがする。
「思慮深い」
まさに、この日本語がピッタリな人。
アドバイスじゃなくて、自分の考えを伝えてくれたり。
同じような状況の話でも「私もわかる」なんて軽々しく言わなかったり。
余計なお節介はしない。
相手の言動の意味を慎重に考えて、丁寧に接してくれているのがわかる。
相性が良いって心地良いんだな・・・と、初めて実感できた。
心から会いたいと思って会う。
当たり前のことだけれど、意外と難しい。
ありがたいことだ。