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距離感を忘れないための覚書

 ワルツを追う楽しみを感じながら、まだまだ魂は絶賛京セラな今日この頃。突然、しかも平日早朝にnote投稿してどうした?となっているであろうフォロワーさん、びっくりさせてすみません。超長いあのドリショ参戦の感想以外に、どうしても記しておきたい個人的経験があったので、今のところ最初で最後になる予定のnoteを書きました。そしてわざわざ開いてくださってありがとうございます。

テーマである「一線」、それは他でもない、推し(私にとってはチソン・ドリムをはじめとするNCTたち)の安全を守るための、推しと自分の間にある超えてはならない一線のことです。
 誰かを推している人ならば、その一線の存在自体も、それを超えちゃいけないことも、生で推しを目にしたことがあるかどうかに関係なく、大半の方が意識することだろうと思います。かくいう私自身もドリムを推す以前からそうだし、神に誓って今も昔もそれを超えようなんて思っていません。


可愛い可愛いウリドリム

 ツイートで前にも一度話したことがあるけれど、私はドリショ京セラが人生で初めてのライブでした。
 また私は人間の行為に「絶対ない」はないと思っています。だから普段は絶対に自分は一線を超えないと思っていても、初めて推しの実在を目に入れた時、自分自身がどうなってしまうのか、「100%こうです!」と言える自信も、見た結果「一線は絶対に超えません」とライブ後に言える100%の自信も、参戦前当時、正直ありませんでした。そして、そんな自分が怖かったです。元々ハマれば熱狂的になりがちなタイプなのを自覚していたから余計に。(そもそもグッズ集めて、FC入ってって本格的にするのもドリム含めたNCTが初めて)

そんな後ろ向きな気持ちを10%、ワクワクを90%抱えつつ迎えたドリショ初日。ドリム7人、それぞれのシズニへの接し方を見ながら、みんな丁寧に、等しく愛をもって接してくれていることが分かって、とても温かい気持ちになりました。また、たとえそれが自分特定に向けられたものでなくても、こちらを愛しく思ってくれていることを表情や言葉から感じられることはこんなにも幸せなことなんだと初めて知りました。

 一方で彼らにとって「私」はあくまで「シズニ」であって、個として「私」を見てくれることは一生ないんだな、とその時直感的に思いました。振り返ってる今、何をそんな当然のことを大発見のように話してんだと自分でも思います。
だけどその時は、彼らはこんなにも愛おしい表情でこちらを見てくれているのに、明らかにそこに1枚透明な壁がある。そう思いました。そしてその壁を越えたり壊すことは絶対にならないという感覚が本能的に降ってきました。


それが起こったのは、初日ドリムたちがトロッコに乗る際、チソンくんが、眩しいであろう照明を手で遮りながら、穏やかに柔らかく笑ってシズニに手を振っているのを見た時でした。その時の私はというと、今から推しがトロッコで目の前に来るというトンデモ案件を、ありがたいことに初ライブ初日にして経験することになって非常に興奮している、という状況でした。それなのに「彼らは「アイドル」で、今その仕事を懸命に全うしてくれてる。アイドルの彼らを見続けるためには、決して自ら近づいてはいけない」と、ただ単に興奮するだけじゃない、どこか冷めた気持ちで、そのチソンくんを見ている自分がいるのを感じて自分で驚きました。
そして悟りました。「これがいわゆるあの「アイドルとファンの間にある、超えてはいけない一線」なんだ」と。

ちょうどこんな風にシズニをみてくれていた
愛おしいチソンくん
画像出典 @ineedsleep8170 さん

透明の壁を感じて一瞬虚しさに襲われかけたけれど、私たちが良好な関係でいるためには、この方が良いんだ、これでなくちゃいけないんだと妙な納得感があり、それが私にとってとても不思議な体験でした。「好き」に対する思い入れが他人よりも強いことを自覚している分、本来なら壁に対する虚しさ・寂しさの方が勝っていたであろう自分が、すんなりその事実を受け入れられていたことも。

さて、3日間のライブを経験して、ドリムそしてチソンへの愛は以前よりも想像以上に高まりました。高まった分、だからこそ、これから先永遠に、彼らとの間にある一線を私が越えることはないし、超えたいとも絶対思わない、と今自信を持って言えます。「透明な壁」=「一線」を本能的に感じ納得した分、それを乗り越えてまで大事な人を傷つけようとは微塵も思わない。冒頭で、「人間の行動に「絶対ない」はないと思っている」と触れましたが、これだけは例外です。あえて使います。そして誓います。絶対にないです。

 あれからひと月近く経つ今、チソンくんに限らず、ドリムたちを実際に目にしたことで「アイドルとファンの間にある一線」を「超えちゃいけない」と身をもって感じられたのは、推しを生でみる幸せを初めて感じられたことよりも、ある意味1番良い経験だったと思います。

ここまで長々と書いてきたこと、多くの人にとっては当たり前の話で「何言ってんだ、悟るまでもない」と思うかもしれません。全然大丈夫です。私のオタクとしての経験値が低すぎただけです。

そしてこれを書いた理由は、読ませて誰かに強いたいことがあるからとかではないです。ただ🐻さんの悲しい一件で、もしかしたら自分の中にサセン的な自分が眠っているかもしれないと潜在的に思っていたこと、そしてそれが目を覚ます可能性があったかもしれないこと(⚠️再度声を大にしていいますが絶対にしません!!!!!)、常に意識的に自覚していたいなと。そのための自戒として、これから誰を推そうと大事にしたい、忘れたくない経験だなと思ったので、あえてデジタルタトゥーにしてここに残します。あとで自分で見て恥ずかしくなるかもしれないけれど、それでもいいです。その時の感情はその時に任せます。
それから、この経験が誰かしら推しがいる方にとっての普遍的な経験なのかは分かりません。でも、もし同じような人がいたら…と思ったのもちょっぴり本音です。だからTwitterにもリンクを貼りました。
読んでくれた方、お付き合いいただきありがとうございました。

最後にドリムへ。ドリショを通してたくさんの幸せだけでなく、こうして大切な学びを私にくれてありがとう。これからもずっとドリムの姿に恥じない、ドリムが誇らしいと思ってくれるシズニであることを誓います。


(2023/03/09 16:06 最終更新)

7人一緒にこれからもずっと幸せで。笑顔で。



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